ラテンアメリカ:変わったこと、変わらないこと(2)

ラテンアメリカ:変わったこと、変わらないこと(2)

恒川惠市(政策研究大学院大学)


ラテンアメリカ経済はおしなべて1990年代には80年代の低迷を脱したが、今日に至るまで成長率は、80年代の危機以前の水準を回復していない。60年代、70年代には平均して5.5~6.0%だったのが、80年代に1.5%ほどに下落、それが3%台まで戻しただけで、今日に至っている。したがって1人あたり国民所得の伸びも鈍い。東アジア諸国もアジア経済危機以後は減速したが、それと比べてもラテンアメリカの伸びは低い。

これは、市場経済化の中で自然資源輸出への依存を深めたラテンアメリカ経済の成長力が限られていることを示している。2000年代には自然資源の国際価格が高騰したにも関わらず、成長力が低いとすると、事態は深刻である。

それでも物価上昇率が1桁代に落ち着いたおかげで、すこしずつではあれ、人々は生活水準の向上を享受することができた。他方、市場経済化と親和的な社会保障制度の整備が進められた結果、政府の財政を破綻させない範囲で低所得層の底上げを行うことも可能になった。それがラテンアメリカ発の政策イノベーションとして有名な条件付き所得補助(conditional cash transfer)制度である。メキシコとブラジルが90年代に最初に導入したのが、2011年までに18カ国に広がった。こうして、ラテンアメリカでは1日2ドル以下で暮らす貧困層は80年代の25%から2010年には10%にまで減った。高所得層と低所得層の所得格差も20倍から15倍に縮まった。

しかし、東アジア諸国と比べると、ラテンアメリカ社会の格差はまだ2倍近く大きい。 社会的格差がまだ大きいということは、社会的ストレスが継続していることを意味する。その一つの表れが一般犯罪の広がりである。以前ならば左翼ゲリラ活動やデモ・ストのような政治暴力に向かったエネルギーが、民主主義が定着する中で、行き場を失って、一般犯罪として現れていると見ることができるかもしれない。

一般犯罪の広がりは、警察の事件把握能力の限界もあって、正確に測ることはできないが、国連麻薬・犯罪局が各国から集めた統計を見ると、ラテンアメリカにおける故殺や強盗の人口10万人当たりの件数は、東アジア諸国の10倍である。Latinobarómetro社が毎年おこなっている世論調査によると、過去一年間に自分ないし親族が犯罪被害にあった人の比率は40%にものぼる。

ターゲットになりやすいにもかかわらず、自主防護を固めるほどの所得はない中間層にとって、このような犯罪の多発は大きな脅威である。かれらは条件付き所得補助の恩恵も受けないので、特に不景気の時期には不満を抱えやすい。ブラジルやベネズエラで見られる左派政権に対する街頭抗議行動は、低所得層というよりは中間層によるものである。

ラテンアメリカ諸国が社会的ストレスを減らし、民主主義制度を安定的に維持するためには、経済成長を持続させることが重要な要件の一つになるだろう。しかし、機械類の製造ベースとしての地位を既にアジアに奪われ、その一方で賃金水準は上がってしまっているラテンアメリカが、工業化によって高い経済成長を達成するのは、おそらくもう不可能である。巨大なNAFTA市場を利用できるメキシコは、組み立て工業に特化して成功しているように見えるが、中間財産業が育たないために、成長率は低い。現在ラテンアメリカで経済的に最も成功しているチリは、無理な工業化を追求せずに、自然資源の加工による高付加価値化を目指している。しかし、その戦略も限界があるだろう。結局は、外国企業や外国製品と競争できる消費財や中間財を、国内市場についての知識や国内で調達できる資材を生かして開発・製造することが必要になるだろう。成長率は高くなくても、持続させることができれば、過去10~15年間に見られたように、社会的改善もすこしずつ進むだろう。

ただし、これから増える高齢者の生活を保障するにはどうしたらよいか--というアジアと共通する問題に、いくつかのラテンアメリカ諸国も直面しつつある点に注意しなければならない。65歳以上の人口の労働年齢(15~64歳)人口に対する比率は、チリやアルゼンチンは、既にシンガポールやタイを上回っている。ラテンアメリカではチリを筆頭に、市場経済化の時代に確定給付型から確定拠出型年金に転換した国が多いので、制度は持続的であるかのように見えるが、実際には十分な額の拠出ができない者が半数に上っていて、いまのままでは無年金ないしは低年金の者が続出しそうである。結局は政府負担となって財政を破綻させるだろう。ラテンアメリカの場合、アジアよりも税収がずっと少ないので、高齢者問題はアジア以上に深刻になる可能性がある。

ラテンアメリカは、比較的低い経済成長に耐えながら新たな成長産業を探し、同時に低所得層や高齢者に十分な社会福祉を提供するための所得再分配のあり方について、国民的な合意を形成しなければならない。それを、民主主義の枠組みを守りながらである。