新興国と政策研究

新興国と政策研究

工藤年博(政策研究大学院大学)

 

昨年4月にアジア経済研究所から本学に来て1年半が経つ。この間、私がもっとも多く携わった仕事は、発展途上国の行政官を日本に招聘して実施する短期(2週間程度)の研修プログラムである。日々多様なテーマの研修プログラムで、彼らを役所、地方自治体、企業、工場、農場、工事現場、小売店、駅ビル、マンション、流通センター、ミュージアム、研究機関等にご案内してきた。多くは日本の各省庁と協力して、一緒に実施する研修であった。

そうした研修プログラムで、参加者の皆さんと朝から晩まで2週間も一緒にいると、仲良くなり、本音で話ができるようになる。そうすると、次第に彼らの抱える政策上の悩みが分かってくる。彼らが抱える政策課題はいずれも具体的で、簡単に解決できる種類のものではない。しかし、現場では緊急に対処しなければならならないことも多く、その間でもがき苦しんでいる様子が肌で感じられるようになる。私が担当している研修プログラムのなかには、同じ参加者を年に数回招聘し、その人の問題意識の深まりと変化に合わせて柔軟にプログラムを組んでいくという新しいタイプもある。参加者との共同作業で研修プログラムを作り上げていくイメージである。コーディネーターとしては参加者との対話がなによりも大事となる。

こうした研修プログラムへの参加者の多くは、経済成長著しい「新興国」と呼ばれる国の官僚である。確かに、これらの国は対外開放をし、経済を自由化し、市場経済への移行をすすめており、それによって成長している。しかし、この成長を健全かつ持続的たらしめるためには、市場機能を支える政府の役割が決定的に重要である。私が主に研究対象としているミャンマー経済も数年前から対外開放と自由化により成長を開始し、今や新興国の仲間入りを果たした。しかし、この成長が包括的で持続的なものになるためには、経済自由化だけではなく、人材育成、制度整備、インフラ整備など市場機能を支える基盤造りをすすめなければならない。これは主に政府の仕事である。しかし、長らく社会主義政権下の計画経済や軍政下の統制経済に親しんだミャンマーの官僚にとって、市場機能の強化という課題はこれまで経験したことのない新たな仕事である。

このような新たな政策課題に直面する新興国・途上国の行政官にとって、日本の政策経験は「宝の山」である。もちろん日本の政策が優れているとか、それを相手国に移植すべきだなどというつもりはない。しかし、言い古されてはいるが、かつて発展途上国であった日本には多くの政策分野で試行錯誤を通じて獲得した経験がある。こうした政策経験をできるだけ具体的かつ詳細に学ぶことは、新興国・途上国の行政官にとって少なくとも考える種にはなると思う。

ところが、私たちがアレンジし同行した研修において、日本の政策経験を彼らに役立つかたちで上手に伝えられたと感じることは必ずしも多くはない。それはなぜなのだろうか。いくつかの要因を指摘できる。

第一に、省庁や関係機関においてある政策に関するレクチャーを受ける場合、それがどのような歴史的・政治的・経済的・社会的文脈において策定され、実施されたのか、その背景と位置付けまで説明されることが少ない点である。現時点での政策や政策ツールだけを説明されても、その政策が生まれた歴史的、経済社会的な背景が語られなければ、新興国・途上国の行政官はその政策の「本質」を理解することができない。したがって、自国への的確な適用や応用もできない(表面的な政策の移植は、往々にしてむしろ有害である)。

第二に、政策経験や知見が体系化されていない点である。例えば、ベトナム土地総局の行政官が公共用地の取得について勉強するとする。その分野の日本の政策経験を勉強してもらうのは、比較的易しい。しかし、その前提として日本の土地政策の全体像をつかんでもらいたいと考えると、これは意外と難しい。土地政策には土地所有権、土地登記、農地政策、土地税制、国土計画、都市計画、都市整備、住宅政策、土地取引など様々な分野が含まれる。個々の政策については国土交通省の各局あるいは各課に頼めば、レクチャーをしてもらえる。しかし、それら個々の政策が土地政策の全体像のなかでどこに位置付けられるのか、あるいは他の政策とどのような関係にあるのかは分からない。すなわち、ある政策分野の全体像を体系的に整理して示すという、知的作業がなされていないのである。また、もちろん政策課題は各省や各局の所掌内で完結するものではなく、省庁横断的にならざるを得ない。これも日本の行政が苦手なところかもしれない。

第三に、政策関連文章が英語化されていない点である。たしかに、法律は英語になっているものが増えてきている。しかし、新興国・途上国の行政官が知りたいことはしばしば法律に書かれているような大枠のことではなく、その法律を具体的に執行するためのルールであったり、基準であったりする。こういうレベルの文章になるとまず英語化されていない。また、時期的にいえば日本が途上国であった過去の政策の方が、やはり新興国・途上国政府にとっては参考になることが多いように思う。しかし、古くなればなるほど英語化された文章は少なくなる。

第四に、このように体系化されず、英語化もされていない、しかし新興国・途上国の行政官にとってはお宝のような政策経験と知見は、結果として日本の官僚の個人的な知見として蓄えられている。そうなると、日本の官僚(あるいは元官僚)に話を聞くのがもっとも効率的な学び方となる。しかし、各省庁や関連機関のどこにそういう人がいるのかは、私のような外部の人間にはすぐには分からない。

第五に、日本の官僚は忙しすぎて、研修プログラムを一緒に作っても同行できない点である。我々はなにが新興国・途上国の行政官に響く日本の政策経験なのか、事前に知っているわけではない。様々な訪問先で彼らから思いもよらない質問をされることで、なにが重要なポイントであったかに気づくのである。研修プログラムに同行していなければそうした機会はえられず、自分がもっているお宝に気づくことはできない。さらに(自分のことを棚上げしていえば)日本の官僚の英語力が十分でなければ、通訳を介したフォーマルな場でしかレクチャーや議論をすることができない。しかし、気づきは日々の接触や雑談のなかにこそあるものである。

この1年半、私は様々な研修プログラムに携わるなかで、日本の政策経験と知見は新興国・途上国政府にとって「宝の山」であると考えるに至った。巨額の財政赤字を抱え、資金力では新興ドナーにかなわなくなりつつある日本にとって、この「宝の山」の活用は日本の新興国・途上国に対する新たな開発協力の柱になるものではないだろうか。そうしてみれば、本学は「政策研究」大学院大学であった。本学の役割はこの日本の新たな開発協力の強化に貢献することであると、私もようやく気づいたのである。

 

(工藤年博、2016年9月21日)