権威主義体制のための2016年タイ国民投票(2)

権威主義体制のための2016年タイ国民投票(2)

玉田芳史(京都大学)

3 黙れ!
3.1法の網
憲法草案が完成し、賛成・反対の両陣営によるキャンペーンが始まろうとする2016年4月23日に、「2016年憲法草案国民投票法」が施行された。7条では、「国民は国民投票に関する考え方を誠実かつ法律に反しない形で表現したり広めたりする自由を享受する」と記されている。ところが、同法61条では、7つの妨害行為を禁止し、さらに「有権者を投票に行かせないため、あるいは有権者に賛成・反対・白票のいずれかの票を投じさせるために、虚偽の、激烈な、粗暴な、下品な、もしくは挑発ないし脅迫に当たる文章・画像・音声を、新聞、ラジオ、テレビ、電子メディア、その他のメディアを通じて、流布させること」も禁止した。同条により、違反者は10年以下の懲役と20万バーツ以下の罰金に処されることになった。
それに加えて、国民投票の実施機関となる選挙管理委員会が、国民投票をめぐる意見表明の方法に関する布告を4月29日に出した。それには6項目の許容行為と8項目の禁止行為が記された。禁止項目は次の通りである。1)「虚偽の、激烈な、粗暴な、下品な、もしくは挑発ないし脅迫に当たる」(以下「同様な」と略す)内容をマスメディアへのインタビューで表明すること。2) 同様な内容をインターネット上で表明すること。3)政治的な混乱や集会を目的として、 同様な文書・ビラ・冊子を配布すること。4) 激烈な、粗暴な、下品な、もしくは挑発ないし脅迫に当たる象徴や徴表を作成したり送ったりすること。5)政府機関、教育機関、合法的なマスメディアが参加しない、あるいは政治的な煽動を目的としたセミナーや討論会を開催すること。6)草案への賛否を表明する衣服・ポスター・ピンバッジ・旗・リボン・その他物品を、政治的な煽動へとつながるキャンペーンの体裁を帯びて、身につけるように誘ったり、販売したり、配布したりすること。7)マスメディアが動員や社会の混乱を招くようなニュースを報じたり、番組を作ったりすること。8)草案への賛否いずれかの立場へ誘導するために、動員したり投票を妨害したりする性格を帯びたキャンペーンを行うこと。ここから、事細かく、しかし曖昧な表現で、包括的な規制の網がかけられていたことが分かる。
国民投票法は7条と61条が矛盾しており、61条や選管布告による制限は「タイが批准済みの国際条約に基づいて、国民は人間の尊厳、権利、自由、平等を享受する」という2014年暫定憲法4条に違反している可能性があった。自由でも公平でもなくす規制への批判を内外から招いたため、首相は16年6月20日に国連事務総長に電話をして、国民投票について説明した。首相によれば、30分のうち25分は首相が話した。翌日には、選管が35カ国の外交官と5つの国際機関の代表を招いて、「61条は国民投票にとって重要ではない。[同条があっても]国民投票は可能である」という強気の説明を行った。憲法裁判所も6月29日に、61条による規制に合憲判断を下した。

3.2官製キャンペーン
国民投票法は、一方では賛否キャンペーンを禁止しつつも、他方では9条で選挙管理委員会が、10条で憲法起草委員会が、憲法草案の要点や長所を説明することを要請していた。草案は憲法起草委員会、国民投票は選挙管理委員会、付加質問は国会の担当である。憲法起草委員会は、全国に職員を派遣する内務省の協力を得て、県(76カ所)では5名ずつ(首都は400名)、郡(878カ所)では10名ずつ、村(80,491カ所)では4名ずつの総勢32万人を超える有給の説明員を手当てし、研修を施して説明に当たらせた。軍隊も、8万人から10万人の軍事教練生に憲法起草委員会や選挙管理委員会による研修を受けさせ、一般市民向けの憲法草案の説明に当たらせると一次草案が完成した直後の2016年2月に発表していた。NCPO政権は、軍人、警察官、内務官僚、軍事教練の学生など総勢100万人を超える人びとを憲法草案国民投票「広報」活動に動員した。これは前回の2007年を遙かに上回る規模であった。
政党はNCPOの身勝手な姿勢を批判した。たとえば、プアタイ党の元閣僚は5月15日に、「[法務担当副首相は]誰もが等しく禁止されると言うが、実際に禁止されるのは国民だけである。」「憲法起草委員会、改革推進会議、国会、選管、内務官僚、軍隊」が、草案の長所を説明し、賛成票を投じるように誘導したとしても、警察がその違法行為を摘発することは、遠慮や報復への懸念のゆえに不可能である」と指摘した。また、民主党の広報担当者も5月15日に、「選管、起草委員会、国会は草案の長所を説明することで、国民を賛成へと明らかに誘導している」と批判した。
選挙管理委員会は遅まきながら7月18日に、7月25日から8月5日にかけて10の論点について、賛否両陣営から論者を招いて討論する番組をタイ公共放送局(TPBS)で放送することを決めた。有権者の理解を得るには、時期が遅すぎ、討論の時間も足りないので、言論規制への言い訳にすぎないという批判を浴びた。

3.3弾圧
2007年の憲法草案国民投票時には、48県に戒厳令が布かれていたものの、賛否のキャンペーンや政党の活動は禁止されていなかった。16年の規制ははるかに厳しかった。警察は4月25日にバンコクの大学で開催されたセミナーに出席していた大学教員が憲法草案に反対するチラシを手にしていたため、彼女を警察署に連行しようとしたものの、多数の学者・学生・ジャーナリストが居合わせたため、チラシの没収にとどめた。続いて、選挙管理委員会は、4月27日に東北地方の自閉症対策団体の代表者がフェースブックに不当な書き込みをしたとして、国民投票法61条違反の咎で告発した。代表者の59歳の女性は逮捕され、バンコクへ身柄を移送された。選管は、草案批判は学術的な根拠に基づく必要があり、賛否へと誘導するものであってはならないと主張した。何が違法なのか不明だという批判の声があがる中、選挙管理委員会は前述の通り4月29日に国民投票に関する規則を発表した。
それと時を同じくして、憲法草案への反対運動の機先を制するように、政権側は政治的自由への規制を矢継ぎ早に強化した。4月27日に、政府批判のメッセージをウェブページに掲載していた10名が逮捕された。2名は釈放されたものの、残る8名は、プラユット首相支持を標榜するウェブページを作り、実際には首相を諷刺していたとして、刑法116条の騒乱煽動罪とコンピュータ犯罪管理法違反に問われた。8名のうち2名には刑法112条の不敬罪の容疑も追加された。警察は同日さらに、NCPOへの反対者の相関図なるものを公表した。そこにはUDD(反独裁民主戦線。いわゆる赤シャツ派)幹部の氏名が記され、外国に黒幕の資金提供者がいると表示されていた。5月6日には、有名な学生活動家(通称チャー・ニウ)の母親が不敬罪の容疑で逮捕された。フェースブックで「ええ(チャー)」とあいづちを打ったことが根拠であった。国際社会から批判を浴びたように、息子への圧力が狙いであった。
批判や反対が厳しく制限される中、UDDは、2016年6月5日の日曜日に、政府からの中止要請を無視して、バンコクで「国民投票不正監視センター」開所式を強行し、2週間後には全国各地に設置すると宣言した。UDDを牽制するため、法務担当の副首相ウィッサヌは、6月13日に、監視センターは国民投票法には反しないけれども、5名以上の集会を禁止するNCPOの命令3/2558号に反する可能性があると述べた。首相や治安担当の副首相も口々にUDDの行動を批判した。NCPO政権は、6月19日の開所式を阻止した上、6月22日には、6月5日の開所式に出席したUDDの19名に出頭命令を出し、その後訴追した。
UDDへ追い討ちをかけるように、国家放送委員会は、7月4日に、UDDの放送局ピースTVの放送を7月10日からの30日間休止させる決定を下した。放送の中で粗野な言葉を使ったというのが理由であった。これは国民投票直前までの期間にあたっており、UDDにとっては痛手になった。委員の1人であり、決定に反対したスピンヤーは、他の放送局の似通った事例と比べて処分が重すぎるという問題点を指摘し、放送委員会が二重基準を用いていると批判されることを懸念した。
UDDのほかにも草案を批判し、弾圧を受ける勢力がいた。6月23日に、サムットプラーカーンで草案に反対するビラを配布していたNDM(新民主主義運動)の13名が逮捕された。7月5日にはラームカムヘーン大学で「否決しよう」と記したTシャツを着用していた学生7名が逮捕された。7月10日にはラートブリーで停車中の車中に草案を批判する文書を持っていた5名が逮捕された。
7月中旬には北部地方の数県で、貧困層が恩恵を感じてきた政策が新憲法で廃止されると説明する手紙が1万通以上発見された。官庁用封筒が用いられ不自然な点が多々あったため軍隊の自作自演が疑われる中、政府は有力な地方政治家一族を黒幕と断じて、家宅捜索や逮捕を進めた。国民投票法違反にとどまらず、刑法116条の騒乱煽動罪の容疑もかけられた。一族が益のない怪文書作成に関与するのは不自然ながら、有力な一族であるからこそ、その摘発は、憲法草案への批判や反対を封じ込める効果があった。
英字紙ネーションはこうした状況を憂えて、政府が憲法を批判する文書を発見したと発表しても、「どのように批判しているのかに興味を持つものはいなくなった。政府がどう対応するのか、国民投票法に違反しているのか、誰かが投獄されるのか、国際社会がどういう反応を示すのか、みなが関心を抱くのはこんなことばかりになった」と報じた。憲法草案の内容ではなく、批判と摘発に主たる関心が向けられるというのは異常な事態である。

4可決とその理由
4.1可決
弁護士団体の集計によると、国民投票法施行の2016年4月23日から投票直前の8月5日までの間に、国民投票に関連した違反事件で訴追されたのは195名であった。政権は、アメリカ、EU、国連などの国際社会から自由でも公平でもないという批判を繰り返し浴びても、手綱を緩めなかったことが物語るように、可決を確実視していたわけではない。
しかし、8月7日の投票では、投票率が59.4%、憲法草案への賛成が61.4%、付加質問への賛成が58.1%という結果となった。2007年に実施されたタイ史上初の国民投票では投票率が57.6%、憲法草案への賛成が56.7%であったので、今回は投票率も賛成率も前回をわずかながら上回ることになった。これは軍事政権にとっては望外の喜びといえる結果であろう。
東北と北部(チェンマイを中心とする上北部地域)では反対票が多く、それ以外では賛成が多いという傾向は前回と同様である。そうした中で異彩を放つのは、2004年以来死傷事件が相次ぐ南部国境3県である。2007年には、賛成が9割を超える県が多い南部地方にあっては、7割ほどとやや低めながら、賛成票が上回っていた。しかし、2016年には賛成票が激減した。

4.2なぜ?
民主的とは言いがたい憲法草案はなぜ可決されたのであろうか。
NGOと大学が合同で、9月と10月に全国の1672人を対象とする調査を行った。それによれば、投票前に憲法草案について情報を十分に得ていたかどうかについては、不十分が52.1%、十分が47.9%となっており、周知徹底が不足していたことが分かる。賛成票を投じた人びとがあげた理由の上位3つは、39.7%が秩序の回復への期待、14.9%が汚職の削減への期待、13.6%が改革への期待であった。他方、反対票を投じた人びとがあげた理由の上位3つは、33.3%が国民を蚊帳の外に置いた起草過程、14.3%がクーデタと軍事政権に反対、12.7%がキャンペーンの自由規制であった。年齢による違いをみると、賛成率が25歳以上では66.5%であったのに対して、18歳から24歳の若年層では49.5%にとどまっていた。
この調査結果を踏まえて、賛成理由を考えてみると、次の通りであろう。国民投票には、憲法草案への賛否に加えて、プラユット政権への評価という側面もあった。第1は、2014年クーデタ前に横行したデモや集会に辟易していた人びとは、軍事政権による秩序の回復を評価した。政党も政治団体も活動を禁止されており、静穏になった。第2は、汚職対策である。NCPO政権は前政権の汚職をめぐる摘発や責任追及を、クーデタの正当化に活用している。新憲法草案は汚職撲滅に寄与する、と賛成派は喧伝していた。
第3は、バラマキ政策である。クーデタ政権は、政党政権のバラマキ政策を批判してやまない。しかし、実はクーデタ政権も類似のバラマキ政策を名称だけ変えて継続している。憲法草案については、国民が享受してきた恩恵や特典が廃止されるという批判があった。国民投票が近づくと、プラユット政権は新たなバラマキ政策に着手した。1つは、無償教育期間を憲法草案に明記される中学3年まで短縮するのではなく、現状通りに高校3年まで延長することを、NCPO命令28/2529で決定した。2点目は、高利貸しの規制である。金利の上限を制限した。3点目は貧民登録である。今後の福祉政策の対象者を決めるために、年収が10万バーツ以下のものに登録を呼びかけた。登録期間は、国民投票日を挟んだ2016年7月15日から8月15日であった。800万人ほどが登録した。
NCPO政権への評価に加え、期待もあった。それが第4の王位継承である。9世王は健康状態がすぐれず、多くの人びとは10世王への交代が切迫していると感じていた。NCPO政権は君主制護持を最優先課題としており、王位継承を滞りなく行うと期待された。
クーデタ政権に冷ややかな人びとの間でも、草案に賛成する理由があった。第5に、憲法が可決されれば、久しぶりに総選挙が実施される。クーデタ後中止されている地方自治体の選挙も再開される。村々へ説明に赴いたカムナン、村長、そして軍人は、草案が可決されれば軍事政権が終わると伝えて可決を促した。第6に、否決された場合にどうなるのか、NCPO政権が説明しなかったため、不安があった。ミーチャイ草案が可決されれば、将来をある程度は見通すことができる。
可決への圧力が高かったことも見逃せない。第7に、NCPOは憲法草案に関する自由な議論を許さなかった。選挙管理委員会は草案の内容の周知徹底を怠った。草案を理解しないまま投票に赴いた国民が多かったことを否定できない。第8に、政権は草案可決に向けて、内務省の統治機構をフル稼働させた。内務省は全国の県と郡に職員を派遣しており、その下では住民代表のカムナン(区長)と村長が手足となっている。政治家やUDD活動家が処罰を恐れて行動を躊躇わねばならなかったのに対して、内務省関係者には行動の自由があったことが重要であった。

5軍政と君主制
NCPOが政権にしがみつこうとしていることは、最初の憲法草案を起草したボーウォーンサックの発言から窺える。彼は2016年2月19日に、「[15年9月に]草案が否決されたときには残念だった。・・・[しかし翌日には]彼らは長く居座りたいのだと思い直した」と語った。民政移管を遅らせ、権力の座にとどまるために、起草作業を遅延させ、権力温存に都合のよい憲法を起草させようとしているというわけである。
首相は一次草案完成後の2016年2月に16項目の修正要求を行った。そこに含まれる当初5年間の経過期間について、プラユット政権が総選挙後も居座るという意味なのかと2月23日に記者から問われると、首相は「どうしたら続投できるというのか」と答え、同じ質問を重ねて受けると、「なぜ続投するのか。しかし他に方法があって、通常の方法で続投できるならば続投する」と答えた。この5年間のための特別な規定が、経過規定であり、さらには付加質問であった。それが国民投票で可決されたことは、プラユット首相が続投に向けて背中を押されたに等しいという面があった。
軍事政権は、移行期だから5年の特別期間が必要だと主張する。国民投票はそれを容認した形になっている。5年の起算は総選挙から始まる。総選挙は首相が2016年9月に国連総会で明言した17年末ではなく、18年半ばへずれ込みそうな気配となっている。クーデタから4年である。先例に照らし合わせると1年もかければ十分な憲法起草に4年も費やすことになる。それは選挙のない正真正銘の軍事政権の時期である。
軍隊の権力を温存する5年間の経過期間がそれに続く。起草期と合算すれば10年近くになる。最初の総選挙から5年目の首班指名でもNCPO任命の上院議員が投票できるので、軍隊に支えられた政権はそこからさらに4年間続く可能性がある。
民意を反映しない政権の長期化を正当化する移行とは何か。何から何への移行なのか。軍事政権から民主的な政権への移行であろうか。選挙をしない軍事政権から選挙をする軍事政権への移行であろうか。それとも、君主の交代を指しているのであろうか。君主制は軍事政権長期化のために利用されているのであろうか。あるいは、君主制は円滑な王位継承のために軍事政権や権威主義体制を必要としているのであろうか。総選挙後に、軍事政権が居座るのか、選挙に立候補しない文民(非政党政治家)が首相に就任するのか、これが判断の1つの材料となろう。
国民は2001年以後選挙政治の価値を実感した。臣民意識に代えて市民(主権者)意識を持つようになった庶民は、君主制護持のために参政権への制限をいつまでも受けることを忍従しないであろう。不満の矛先が軍隊よりも君主制に向けられる可能性が皆無ではない。そうなると、NCPOは君主制の護持者ではなく、破壊者となる。