娯楽産業とLabour-intensive industrialization (労働集約的工業化)

娯楽産業とLabour-intensive industrialization (労働集約的工業化)

谷本 雅之(東京大学大学院経済学研究科)

 

ゲームを楽しむためのハードやソフト、アニメ関連の諸製品の生産と輸出は、現代日本の産業構造を特徴づける一つの要素である。いわゆる「生活必需品」以外の需要を基盤とするこれら産業分野の発展は、高賃金・高所得の成熟国における知識集約型産業への傾斜を象徴する一局面のようにも見える。しかし娯楽需要を背景とする産業展開は、20世紀の日本経済の発展を「労働集約的工業化」論の視点から理解する上でも、戦略的に重要な事例を提供していた。念頭にあるのは、第2次世界大戦期を挟む1930年代~1960年代に輸出産業として隆盛を迎えた玩具の製造・輸出である。

ここでいう玩具とは、セルロイド人形やブリキ製自動車などに象徴される製品群で、欧米市場、特にアメリカとイギリス向けの輸出が大きな割合を占めていた。最初の飛躍は第1次世界大戦の勃発を契機としている。それまで世界の玩具市場に君臨していたドイツ製品が、敵国となったアメリカ・イギリスの市場から締め出された。その間隙を縫って、日本製玩具は英米向けに急激に輸出を伸ばしたのである。しかしドイツ製品の遮断はアメリカ、イギリス国内でも玩具産業を勃興させ、戦後のドイツ製品の世界市場への復帰もあって、1920年代は日本玩具産業にとって雌伏の時期となった。一転して1930年代に入ると輸出は大きく伸長し、アメリカ市場ではドイツ製品を凌駕するに至る。近年の研究は、世界的に見て日本が比較的早くに景気回復を実現したことを指摘しているが、玩具輸出の伸長をその一因とすることも、全くの見当違いではないだろう。もっとも1937年以降本格化する戦時統制経済は、玩具製造を典型的な「不要不急」産業とみなしたから、生産活動は原料・資材調達難によって一時壊滅状態となった。しかし第2次世界大戦終結後、占領軍放出の空缶をも貴重なブリキ材として活用した玩具産業は、いち早くアメリカを中心に輸出を伸ばし、以後1960年代まで重要輸出産業の一角として、日本経済の外貨制約の緩和に貢献していくのである。

玩具の製造現場は小規模な工場・作業場が大きな部分を占め、資本装備率も相対的に低かった。その点で、典型的な労働集約型といいうる産業分野であり、製造問屋を中核とする分散型の生産組織―いわゆる問屋制家内工業の一種―が生産形態上の特徴となっている。しかしいくつか重要な点で、それまでの労働集約型の産業―たとえば織物業などの繊維産業―とは、異なる面があった。第一に製品の素材がセルロイド・ゴム・金属といった重化学工業製品で、その新素材の加工技能が玩具の特性に大きく影響した。技能形成を経た世帯主を含む男性労働力を中核としていた点で、家計補充的な女性労働に依存した織物業等とは労働力構成が大きく相違し、それは産業の社会的・経済的な位置づけにも関連した。製品の形態やデザインでは、西洋風人形や当時日本では目にすることの少ない自動車・航空機等が主要な位置を占めていたことが注目される。当時の玩具生産がターゲットとしていたのが、まずもって欧米における玩具需要であったことがその背景をなしていた。後発国における産業発展と貿易の関係が、「雁行形態論」の描く輸入―輸入代替―輸出のパターンに代表されるとするならば、輸出が先行する玩具産業の興隆は、明らかそれとは異なる軌跡であった。国内市場の比重が増大するのは、1960年代以降のこととなるのである。

労働集約的な特質は色濃いが、明らかに新興・移植産業的な要素を備えている。しかしもっぱら日本国内に賦存する資本・労働・技能を基盤とし、国外からの技術・資本の移転に全面的に依拠した輸出産業の形成―たとえば現代発展途上国・中進国の輸出特区―と同一視することもできない。このような特徴をもつ玩具産業の発展経路は、日本の労働集約的工業化が、繊維等の「軽工業」の範疇に留まらない、ダイナミックな特質を備えていたことを示唆するものではないか。

実際、玩具は高所得国の欧米市場をターゲットにしている点で、戦前期の日本の輸出産業、特に最終消費財産業の中では異色であった。中間財(織物原料)であるアメリカ向け生糸を除けば、戦前期の綿織物をはじめとする最終財輸出市場は一貫して、高賃金・高所得国とはいいがたいアジア・アフリカの市場を中核的な販路としている。しかし戦後の日本は、中国等の戦前来の東アジアにおける大きな市場を失った。困難を打開した一つの方向が欧米高所得国向けの輸出であり、玩具や陶磁器から始まって軽機械―ミシン・時計・双眼鏡などーへと展開する1950年代から60年代にかけての対欧米輸出の線は、1960年代後半以降、家電製品から自動車へと至る、耐久消費財生産―これも最終財の一形態―の発展へと連なっていく。そこに連続性を見出すことができるならば、労働集約的工業化論のパースペクティブは、一層の広がりを持つことになる。

他方、持続的な玩具輸出伸長の起点となる1930年代は、国際的には貿易摩擦の激化があり、国内的には都市―農村間の格差拡大が社会不安と急進的な政治運動を生み出す時代であった。新興産業としての玩具製造は、その輸出志向性と大都市立地の特質から、1930年代に先鋭化するこれらの政治経済上の問題を増幅させる要因であったといいうる面がある。それが日本を第2次世界大戦へと導く一つの起動力であったとすれば、労働集約的工業化が新興国日本の経済発展に刻印した特質を見る上でも、玩具産業の興隆は検討に値するのではないか。

リーディング・インダストリーとはいいがたい玩具産業ではあるが、その産業動態の深堀りが、日本の労働集約的工業化の特質に迫る、一つの切り口となることが期待されるのである。

 

以上