「要素交易条件」論・再考

「要素交易条件」論・再考

脇村孝平(大阪市立大学)

 

開発経済学の父とも言えるW・A・ルイスは、彼の研究生活の後半に、今日的に言えば「グローバル・ヒストリー」とでも呼ぶべき研究を行った。ここで取り上げたいのは、彼の「要素交易条件」論である。彼が問題にする「要素交易条件」とは、温帯地域と熱帯地域のそれぞれの輸出産業(熱帯地域の場合には、輸出用一次産品の生産部門)における労働者の実質賃金の比率を指す。彼は、次のように指摘する。「約3,000万人のインド人が1850年から1930年にかけて、他の熱帯諸国で働くために移民した。数百万人の中国人も同様であった。熱帯諸国の雇用者は、必要な低賃金労働を手に入れることができたが、温帯の雇用者はこれらの数倍の賃金を支払わねばならなかった。このような要素交易条件が、商品交易条件として知られている商品の相対価格を決定したのである」(『人種問題のなかの経済』)。ここでいう「熱帯諸国の雇用者」とは、例えばセイロン・ビルマ・マラヤ(当時の呼称)などの熱帯アジアにおける一次産品生産部門である。こうした賃金格差が、ひいては両地域の経済発展の格差を招いたというのが、ルイスの基本的主張である。すなわち、19世紀後半から20世紀前半にかけて温帯と熱帯の「大分岐(great divergence)」が起こったという説になる。

なぜ熱帯地域では低賃金だったのだろうか。彼の説明は、基本的に彼自身の有名な「労働の無制限供給」モデルに基づいている。要するに、熱帯地域の一次産品生産部門には、自給部門(subsistence sector)から豊富な労働供給があり、しかもこの労働の源泉である自給部門の食糧の労働生産性は極めて低いので、一次産品生産部門への労働供給の機会費用が低くなり、自ずとそこでは低賃金になるという説明である。

史実に照らせば、19世紀の熱帯地域における低賃金は、植民地主義という要因によってもたらされたという「政治経済学的な」説明も可能なはずである。例えば、モーリシャスにおける砂糖農園のインド人年季契約移民の事例、あるいはジャワの強制栽培制度の事例のように、「強制労働」という要素が低賃金を可能にしていたという説明も可能である。しかし、ルイスはそのような説明は採らない。なぜならば、この時期の熱帯地域における一次産品生産の拡大は、小農民を含めた経済的主体が、市場でのインセンティブに反応して起こった無数の諸活動の結果であると認識しているからである。

私は、このような彼の認識は、概ね妥当なものであると考えているが、幾つか解かれるべき問題が残っているとみている。第一に、熱帯地域の多くでは、19世紀に至るまで、基本的には人口増加率が極めて緩慢な人口希少地域であったが、そのような地域で果たして「労働の無制限供給」とも言うべき事態はどのようにして可能であったのだろうか、という問いが立てられ得る。ルイスの議論には、熱帯アジアを念頭におきつつ、インドや中国といった外部からの豊富な労働供給がそのような事態を可能にしたという説明はあるので、大量の移民労働が流入するようになった1870年代以降であれば、このような説明は適切である。しかし、東南アジアの場合、一次産品の輸出ブームは、19世紀の前半から起こっていて、この時期に関しては、豊富な労働供給は如何にして可能になったかという問いは残る。最近、この問いに対して、私なりの解答を得た気がしている。フィリピンとジャワの事例であるが、これらの地域では19世紀の初頭以来、年率1%を優に超える高い率で人口が増加していたことが明らかになっている。しかも、この時期の高い人口増加率は、一次産品の輸出ブームに誘発される形で出生率が高まったことによる可能性が高いのである(以上、D. Henleyの所説による)。だとするならば、彼の議論は、東南アジアに内生的な労働供給というシナリオによって補強されることになろう。

第二の問いは、熱帯地域の自給部門における食糧生産の労働生産性はなぜ低いのかというものである。ルイスは、この問いに明示的な解答を与えてくれていない。現在のところ、この問題については、熱帯地域の土壌論という側面から答えを見出そうとしているが、まだ道半ばである。暫定的な解答を簡潔に記すと、以下のようになる。熱帯地域の中核をなす熱帯雨林地域の大半では、土壌の貧しさのため、食糧の生産性は概して低かった。確かに、熱帯中核地域には、火山の周辺や沖積地に肥沃な土壌の地域が存在したが、全体の一割、二割程度に過ぎなかった。他方、一定期間の乾季が存在する熱帯外縁地域では、相対的には食糧の生産性は高かったが、極めて不安定で農業災害を被りやすいという特徴があった。熱帯地域を概括すると、食糧生産という点では、肥沃とは言いがたいということになる(以上、W. WeischetとC.N. Caviedesの所説による)。この論点は、今後さらに深めていきたいと考えている。

このように、ルイスの「要素交易条件」論をある種の問題発見の(heuristic)道具として使いつつ、19世紀の初頭から20世紀前半にかけての熱帯地域の「グローバル・ヒストリー」を探究するのが、最近の私の中長期的な研究課題である。

以上