インドネシア・ジョコウィ政権の外交:理念と困難

インドネシア・ジョコウィ政権の外交:理念と困難

本名純  (立命館大学)

 

2014年10月にインドネシア共和国の第7代目大統領に就任したジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)は、国内外から外交力の弱さが指摘されている。そもそもジョコウィの政治キャリアは中ジャワ州ソロ市の市長とジャカルタ首都特別州の州知事である。外交を得意とするはずがない。では、まったくビジョンがないのかといえばそうではない。むしろビジョンは周到に練られてきたものの、政策実施の段階でグダグダになっている。政権発足から1年が過ぎた今、その外交理念と困難を振り返ってみたい。

ジョコウィが大統領選挙のマニフェストで強調した外交目標は、①島嶼国家としてのアイデンティティの強化、②ミドルパワー外交によるグローバルな役割の推進、③インド太平洋への関与強化、④経済外交の強化である。この4つを実現するために、ジョコウィ政権は海洋軸構想を全面に掲げ、その推進が自分のミッションであるとアピールした。

この海洋軸というコンセプトは、昨年6月22日、大統領選の対立候補とのテレビ討論会に出演した時に公にしたものである。その後、大統領選挙の開票結果発表日の勝利スピーチでも言及するが、もっとも体系的に説明したのが、政権発足の翌月2014年11月にミャンマーで開かれたASEAN首脳会議での演説である。

この海洋軸には5つの柱があり、海洋防衛、海洋外交、海洋資源開発、海洋インフラ整備、そして海洋文化である。これらの5分野の発展を総合的に捉えるのが海洋軸ドクトリンだということである。海洋文化については、ここでは省くが、残りの4つについて少し詳しく見ていこう。

海洋防衛に関しては、長く続いた経済成長をバックに、いまこそ海軍力を強化するというビジョンを掲げる。その背景には、インド洋と南シナ海を結ぶ海の交通は、毎日3,000隻を超す膨大なものであり、この交通をホストするインドネシア海域で同国に対する主権の侵害があった場合、その被害は多くの国に及ぶ可能性もあり、今こそ海軍能力の向上・近代化が求められているときはないという認識がある。

また、非伝統的安全保障の課題も大きい。330万平方キロメートルもあるインドネシア海域では、違法漁業や木材密輸などの海上犯罪が蔓延している。犯罪対策は軍人ではなく文民の警察や法執行機関の役目が中心になるが、インドネシアの海上警察や運輸省の海上警備艦のキャパシティは低い。例えばコーストガードを設立し、海の法執行能力を飛躍的に向上させたいという狙いがある。

また、海洋外交の文脈において、海洋軸ドクトリンは、国境線や領土をめぐる域内対立を緩和する外交につなげたいと主張する。インドネシアは南シナ海をめぐる係争国ではないものの、リアウ州のナトゥナ諸島の海岸沖は九段線の中にある自国の領域だと主張する中国と対立しており、過去4年間で何度も中国の漁政指揮センター(FLEC)がナトゥナでインドネシア海軍を挑発してきた。インドネシアも黙っておらず、2014年4月には国軍司令官のムルドコ大将が、ナトゥナ防衛のためにジェット戦闘機や攻撃ヘリを現地に派遣すると発表し、明らかに中国を牽制する国防上の姿勢を示した。この国軍の強硬路線の動きを横目で見つつ、他方で柔軟な外交の場に領土問題を埋め込もうという狙いがあり、ここで海洋軸ドクトリンを全面に掲げることで、外交のアリーナをバイからマルチへ転換していく。すなわちインドネシア・中国間のイシューから、インド太平洋の多国間のイシューに薄めることで、インドネシアの外交的自律性がリスクを受けないようにする。こういう外交を展開する上で、海洋軸の打ち出しは戦略的な意味を持つと政権は考える。

海洋資源開発や、海洋インフラ強化といった課題も、海洋軸ドクトリンの重要な部分である。ガスや石油といった海洋資源の発掘と有効利用、そして水産業への梃入れによる輸出の拡大という課題は、政権の経済成長策としてきわめて重要である。また海洋インフラの強化は、インドネシア各地に港湾を増やし、電力を増やして冷凍設備を整えれば各地の漁業も発展し、海運を発達させることで輸出のスピードを高め、運搬コストを低くするというビジョンを支える。インドネシア全土で島々の間のコネクティビティ―が向上することで、ロジスティックが強化され、東インドネシアを中心とした地方のローカル開発に大きく貢献し、それが国内格差の是正にもつながる、というのが海洋軸の発想である。

このように、ジョコウィの海洋軸ドクトリンは、多元的で総合的なものであり、かつ決して海洋だけを見ているものでもない。そのうち出しは、かなりはっきりとした意識に支えられている。それは、今のグローバル化時代のなかのインドネシアの国家アイデンティティを確立させたいという強い対外的ナショナリズムに他ならない。

しかし、そのナショナリズムに支えられる海洋軸ドクトリンは、多元的・総合的な性格なゆえに、関与するステークホルダーも多様である。またユドヨノ前大統領と比べれば、ジョコウィは外交問題への関心は高くない。その状況は何を生み出すか。答えは、外交政策が多様なアクターの関与によって競争的になるという展開である。単に競争的になるだけであれば、必ずしも懸念されることではないが、アクターが自己利益のために海洋軸ドクトリンを解釈するようになると、政権のガバナンスが問われるようになってくる。

例えばジョコウィの右腕で、2015年9月の内閣改造で政治治安法務担当調整大臣に任命されたルフット・パンジャイタンは、海洋軸の名の下で行われる開発プロジェクトの優先順位を決める大きな影響力を持っている。400を超える国家開発プロジェクトが彼の机の上にあり、当然、様々な政治的な効果を考えて優先度を判断する。ジョコウィを支える連立与党は国会基盤が弱く、政府法案を国会に通すときには多数派工作を必要とするが、ルフットが管理する国家開発プロジェクトの入札をめぐる情報は、国会対策の大きな武器になる。そういう流れが一度できてしまえば、海洋軸は利権プロジェクトでしかなくなってしまい、その理念も形骸化していくことになろう。

類似の懸念は他にも見られる。2015年2月にジョコウィがマレーシアを訪問した際、インドネシアと合同で「アセアン・カー」を開発する計画が首脳間で調印されたが、そのインドネシア側のカウンターパートは自動車業界ではまったく無名の会社で、ヘンドロプリヨノという退役将校でジョコウィの選挙顧問も務めた政界の大物が所有するペーパーカンパニーであった。非常に胡散臭いプロジェクトである。もう一人、ジョコウィにはスルヤ・パロ(ナスデム党党首)という有名な選挙資金パトロンがおり、彼もジョコウィ政権の誕生とともに、独自のネットワークで石油外交を進め、アンゴラや中国の石油商人をジョコウィに紹介している。中には国際犯罪で問題になっている人物も含まれていた。

このように、ジョコウィが外交戦略のカギとして掲げてきた海洋軸構想は、相当しっかり方向づけをしていかないと、下のレベルに行くほど、投資プロジェクト案件に転化されて、それが政治的パトロネージの資本となって、別次元の政治ゲームが、ジョコウィの知らないところで繰り広げられていく。国会や地方議会の議員たちや政党幹部の多くは、海洋軸にまつわる利権にどう食い込むかに熱心であり、この日常の政治は、ジョコウィの外交理念としての海洋軸構想を骨抜きにする危険性を孕んでいる。それを避けるためには、ジョコウィが強いリーダーシップを発揮して、政権のガバナンスを強化する必要があろう。政権の船出から1年経ったが、そういうリーダーシップはまだ見られない。