ミャンマーで胎動する市民社会

ミャンマーで胎動する市民社会

 

中西嘉宏(京都大学東南アジア研究所)

 

この原稿は、ミャンマーで総選挙(2015年11月8日予定)が実施される直前に執筆されている。選挙戦は、軍事政権の人脈を引き継いだ現与党である連邦団結発展党(USDP)とアウンサンスーチーが率いる国民民主連盟(NLD)との対決であり、今のところ野党NLDの優勢が伝えられる。結果次第では長年同国の民主化のために戦ってきたアウンサンスーチーらが政権をとる可能性があるため、世界的に大いに注目されている。

これまでミャンマーでは1947年、1952年、1956年、1960年、1974年、1978年、1981年、1985年、1990年、2010年と計10回、国会議員選出のための選挙が行われている。そのうち、最初の4回と1990年の総選挙は自由で公正な選挙であった。ただし、1990年の選挙についてはその結果を当時の軍事政権が受け入れなかったため、政権樹立に結びつかない選挙となった。また、1974年から1985年までの選挙は一党制下でのものだったので、当時の社会主義政権に手続き的な正当性を付与する儀礼的なものだった。2010年の総選挙も軍政の管理下で進められたため自由と言えるものではなかった。とういうことで、今回の総選挙が自由で公正なものとなれば、1960年以来のものとなり、結果を問わず、選挙の実施それ自体が歴史的な政治イベントになるわけである。

その一方で、総選挙の結果を待たずとも、すでにミャンマーで変化が起きていることを忘れてはならないだろう。政治的な変化に焦点を絞るなら、最も重要なものは市民社会が強くなっていることである。かつて、ミャンマーの政治は市民社会の弱さを特徴としてきた。例えば、1988年にミャンマーでは大規模な反政府運動が起きて民主化への期待がにわかに高まった。しかしながら、国軍がクーデターを起こしたため、民主化は起きず、NLDのような民主化勢力はそれから20年以上にわたって弾圧されることになる。政権や国軍から民主化なり自由化なりという妥協を引き出せるほど市民社会の力が強くなかったことが同国で軍事政権が続いた最大の要因だろう。

2011年の民政移管以降、状況は大きく変わりつつある。検閲が廃止されて言論の自由が広がり、また、新聞や雑誌の新規発行が容易になったことで(かつて国営全国紙3紙だけだったのが、現在は30紙を越える新聞が発行されている)、市民が手に入れられる情報は格段に増えた。さらに2014年にはプリペイド式の安いSIMカードが相次いで売り出され(現在、MECTel、Myanmar Post and Telecommunications、Ooredoo、Telenorの3社のSIMカードが流通)、スマートフォンも普及が進んだことで(2012年末に10%だった携帯電話の普及率は2014年には約30%まで上昇)、SNSを通じたコミュニケーションが急速に拡大している。社会問題や政治についての情報も、政府の統制は限定的で、ほぼ自由に交換されている。軍政への復帰が常に心配されるミャンマーだが、かつてのような情報統制を復活させるには相当なコストがかかるため、以前の閉鎖的な情報環境の復活はありえないだろう。

この、言論の自由の拡大と情報環境の変化は、他の市民的自由(結社の自由や集会の自由など)の拡大と結びつきながら、人々の社会行動を着実に変えている。例えば、2012年以来、農民が各地で土地返還運動を起こしている。「馬鍬の戦い」と呼ばれるこの運動は、軍政時代に政府や企業にほぼ強制的に収容された農地の返還を求めるものである。あるNGOの調査によれば、全国から2000以上の違法と見られる土地収用の報告が寄せられ、詳細がわかる事例だけでも紛争農地の面積は25万エーカーを越える。むろん、運動が起きたからといって問題が解決するわけではなく、政府や企業からの土地の返還の事例はまだまだ少ない。農民たちが泣き寝入りしている事例も多いだろう。とはいえ、これまで権力に従順な存在とみなされてきた農民たちの行動すら環境の変化に適応して変わってきているとはいえる。

他にも、新鮮な驚きをもって伝えられたのは、今年8月の「黒リボン運動」と9月の「黃リボン運動」である。「黒リボン運動」は保健省に勤める医療関係者たちが、同省への13人の軍人の出向決定に反対した運動で、彼らは異議の表明のために胸元に黒いリボンをつけて仕事をした。一方「黃リボン運動」は、最高裁判所の事務部門に軍人が着任するという決定に対して、主に弁護士たちが黄色いリボンをつけて反対の意思を示した運動である。ともに、SNS(特にフェイスブック)を通じて一気に社会の注目を浴びた。今のところ、当該出向人事の決定は覆っていないが、かつて非公式の人事慣行として当然だった国軍将校の「天下り」が、今はそうすんなりとはいかないということを示す動きである。

2015年総選挙への注目度が高いこともあって、こうした他国ではすでにありふれた出来事は、小さな変化として見過ごされやすいが、同国の長期的な政治発展を視野にいれるとき、市民社会がより自律的で強くなっていることは見逃せない。少しずつ市民社会の力が増している結果として、政府にも一定の説明責任が生じるようになっている。もう何の説明もなしに軍人を国軍以外の省庁に出向させることは二度とできないだろう。

ただ、国家と社会の関係は1対1の綱引きではないので、市民社会が強くなることで国家が弱っては意味がない。かつてのミャンマーの国家の強さとは、実際のところ、社会を統制する力の強さであって、社会の安定と発展を促す公共財を提供する機能はもともと弱かった。例えば、2011年の民政移管前に機能していた法律の数は370とされ、法制度すら十分に整備できない脆弱な国家でもあった。今もミャンマーのあらゆる分野で制度整備の必要性が繰り返し唱えられる所以である。市民社会がますます自律的になり、民主化が進んでいくなかで、同時に公共財の提供機能を高めていくのがミャンマー政府の課題であり、2015年総選挙ではそのための舵取り役が選ばれる。その結果と政権運営に注目したい。