ラテかテタレか、それが問題だ:マレーシアの新たな不平等

ラテかテタレか、それが問題だ:マレーシアの新たな不平等

 

熊谷 聡 (アジア経済研究所)

2つの世界が併存するマレーシア

マレーシアには3つの世界がある、と言われることがある。これは民族に注目した場合で、マレー系、華人系、インド系の3民族の文化が見事に併存している。それとは別に、筆者はマレーシアを初めて訪れた時から、2つの異なる世界が併存すると感じてきた。ひとつはホーカーやコピティアム、やや怪しげな雰囲気が漂うローカルショッピングセンターの4、5階に代表される世界。もうひとつは、グローバル・チェーンの飲食店、高級ホテルやモダンなショッピングモールにひしめく高級ブランドに代表される世界だ。

15年ほど前、コピティアムで飲むコーヒーは、1杯1リンギでお釣りがきた。同時期に開店したスターバックスでは、1杯7リンギ台の価格を付けていたように記憶している。同じようなものに10倍もの価格差があるのに、安い方も高い方も盛況であることに強い印象を受けた。

ルイスの二重経済モデルを想定するならば前者は伝統部門、後者は近代部門となる。生産性・賃金の低い前者から高い後者に労働者が移行することで、経済発展が進んでいく。

 

進化するローカル財

ところが、である。15年後の今も伝統部門は存在するだけでなく、着実な進化を遂げている。例えば、とあるローカル店のメニューには27種類ものナシゴレンが掲載されてる。パンミーもロティチャナイもバリエーションがますます豊富になり、明らかにイノベーションが起こっている。これを、やがて消えゆく伝統部門と考えるのには無理がある。

そこで、これを「ローカル財」と考え、もうひとつを「グローバル財」と考えるとすっきりする。ほぼローカルの人々のみが消費しているローカル財と、世界中どこでも同じものが手に入るグローバル財。前者を非貿易財、後者を貿易財と言い換えても良いだろう。

ブリックフィールズで朝食にロティチャナイとテタレ(マレーシア風ミルクティ)を頼むと、わずか2.8リンギだ。一方で、道を挟んだスターバックスでコーヒーとサンドイッチを注文すれば、20リンギはくだらない。マレーシアでは、2つの世界が文字通り「桁違い」の価格差を保ったまま、どこまでも併存し続けている。

ローカル財とグローバル財のこうした価格差は、日本では見られないものだ。むしろ、日本ではローカル財とグローバル財の価格は逆転している。街の喫茶店とスターバックスを比べれば、前者のコーヒー1杯は後者の2倍ぐらいの価格になる。町の定食屋がファミレスよりも高くても驚かないし、商店街の方がAEONよりも高いことはよくある話だ。

これは、国際経済理論のバラッサ=サミュエルソン効果を連想させる。ある前提条件のもとで、貿易財の価格は世界価格と等しくなる一方で、経済が発展していくと、非貿易財の価格が上昇していく。日本のローカル財の価格が高いのはこの理論と整合的である。マレーシアは、経済発展の水準からすれば、もう少しローカル財とグローバル財の価格差が縮小してもいいはずだ。

 

バラッサ・サミュエルソン効果はどこへ

マレーシアのローカル財が安い理由はいくつか挙げられる。第一に、大量の外国人労働者が生産性の上昇を緩慢にし、賃金の上昇を抑えている可能性である。マレーシアの外国人労働者数は昨年段階で合法・非合法あわせて580万人と伝えられた。これは人口の約2割に相当し、日本に換算すれば2000万人以上の外国人労働者がいる勘定だ。こうした安い労働力は、製造業分野でも雇用されているが、建設現場や飲食店などで働き、ローカル財の安価な供給に貢献している。

第二に、補助金の存在である。産油国であるマレーシアではこれまでガソリンを中心に燃料補助金が支払われ、安価に供給されてきた。財政再建を進めるために2014年12月にガソリンへの補助金が廃止されたが、それでも1リットル=1.6リンギだ。発電の中心となっている天然ガスも安価に供給され、電力料金は日本のほぼ1/3、水道代も一般家庭では1ヶ月10リンギ以下といったことろだ。その他、米や砂糖、油などの基礎的な食品も補助金によって価格が抑えられている。

第三に、物価と賃金の相互作用である。安価にローカル財が供給されるため、実質賃金が高くなり、最低賃金水準でも生活することが可能になる。3食すべて外食ですませても、ローカル店なら最低賃金の半分程度で済む。これがグローバル財なら、ラテ3杯で日給を使い果たすのだから、ローカル財のコストパフォーマンスは極めて高い。

 

分断される2つの世界

マレーシアは、実はアジアでもっとも所得のジニ係数が高い(=格差が大きい)国の一つである。生活していてそれを実感しないのは、安いローカル財に支えられた実質所得の高さのためであろう。しかし、安い賃金と安い物価、高い実質所得、という構造に問題はないのだろうか。

問題は、ある。ローカル財の世界で生きる人々は、ある種のグローバル財には一生手が届かない。それが、質の高い住宅や教育である。不動産市場の上位部分はグローバル財であり、それに見合った価格が形成される。質の高い教育もグローバル財で、海外留学は当然として、マレーシアの欧米系インターナショナルスクールの学費は年間8−10万リンギと世界価格だ。

住宅市場の分断は、人々の居住地を所得階層に従って分断する。分断された教育は職業を規定し、将来の所得を決定する。居住地が分断され、職業が分断され、所得格差が再生産される。これは、マレーシアでは既視感のある構図である。マレー系は農村に住み農業に従事し低所得、華人系は都市に住み商工業に従事し高所得という、民族軸で居住地と職業、所得階層を分断されていたのが1971年以前のマレーシアであった。

その後、マレーシア政府はいわゆるブミプトラ優遇政策で強力に介入し、現在では相当程度、民族間の所得格差は縮小した。それでもなお、マレーシアの所得格差は高水準にとどまっているのだから、21世紀のマレーシアの格差は、本稿の視点から見るならば、グローバル財世界とローカル財世界の所得格差に起因するということになる。

高級住宅地に生まれ、インターナショナルスクールを経て海外留学、帰国後、国際経営コンサルタント会社に採用されBMWで通勤し、スターバックスで一息入れる人がいる。低価格住宅に住んで公立学校に通い、高校卒業後にガードマンとして採用されて地場ショッピングセンターにバイクで通勤し、テタレをブンクス(テイクアウト)する人もいる。マレーシアは、民族ではなく、ラテを飲むかテタレを飲むかで分断される社会に移行しつつあるように思われる。

EOM