ラテンアメリカ:変わったこと、変わらないこと(1)

ラテンアメリカ:変わったこと、変わらないこと(1)

恒川惠市(政策研究大学院大学)

 

今日ラテンアメリカ諸国を訪れる者は、ほんの10年ないし15年前と比べて、その変貌ぶりに驚くだろう。都会には新しい建造物が目立ち、道は自動車の渋滞で身動きがとれない。新しい建造物で目立つのは銀行と、ショッピングモールやスーパーのような商業施設だ。商品も豊富で、輸入品もふんだんにある。レストランも増え、どこも仲間と昼食を食べに来るホワイトカラー層でいっぱいだ。これがかつて「失われた10年」を経験したラテンアメリカだとは、にわかには信じがたい。

ラテンアメリカには20世紀初頭には高所得国に数えられる国も複数あって、日本から貧しい移民を多数受け入れたほどだったので、今のラテンアメリカ諸国を「新興国」と呼ぶことは適切ではない。1980年代前半に累積債務危機に襲われ、10年にわたる経済停滞のあと、ようやく盛り返して、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンに至っては、G20に数えられるまで復活した――という意味で、「再興国」と呼ぶのがふさわしいだろう。

なぜ復活できたのか。大きな理由は2つある。まず危機以前の輸入代替工業化路線を転換したことがある。1970年代までは、政府が国内産業を保護し、企業はもっぱら国内市場向けの生産を志向したので、競争力を上げるインセンティブが働かず、じり貧になってしまったのだ。その結果が累積債務危機だった。ラテンアメリカ諸国の政府は、いち早く自由化路線に転じたチリを除けば、何とか国内産業と雇用を守ろうともがくのであるが、それがかえって3桁や4桁に達するインフレを招いた。一年間に物価が10倍、20倍も上がる国で正常な経済が機能するはずがない。万策尽きたラテンアメリカ諸国政府はIMF等の勧告を受け入れて、貿易・投資の自由化、民営化・規制緩和、労働市場・社会福祉改革などを推進する。それが90年代である。同じ頃日本でもバブル経済が崩壊し、自由化・規制緩和が叫ばれ始めていたが、ラテンアメリカ諸国は危機に直面するタイミングが10年早かったので、日本よりも早く改革を進めた。インフレは多くの国で1桁代に下がった。自由化や規制緩和によって、競争力のない国内企業は閉鎖や転換を余儀なくされたが、競争力のある分野(自然資源産業や一部製造業)は伸びた。外国からの投資も増えた。国内景気が回復したので、雇用や消費も伸び、銀行や商業施設やレストランが大繁盛になった。そして輸入消費財が街にあふれた。

ラテンアメリカ復活の第2の理由は政治の安定である。1970年代から80年代にかけてのラテンアメリカには軍事政権と独裁制が多数見られ、それに抵抗する運動が何千人、何万人の犠牲者をともなって進行した。それは、かつてはアジアやアフリカよりずっと発展した地域であることを自負していたラテンアメリカの人々に深いトラウマを残す経験だった。経済の崩壊がそれに拍車をかけた。その結果、ラテンアメリカでは80年代後半から90年代前半にかけて民主化が進んだばかりか、混乱や不安定をもたらすだろうとの大方の予想を裏切り、民主主義が安定の元になったのである。これは「失われた10年」の間に進んだ民主化なので、経済発展によって説明することは難しい。以前のラテンアメリカでは民主主義の根本である選挙が暴力的な抗争の種であり、しばしば軍事クーデタの原因にもなっていたことを考える、軍部を含めて多くの国民が民主主義の手続きを、(その結果がどうであれ)受け入れる気持ちになったことが、民主主義安定の基礎にあると見てよいだろう。そういう意識変化は、ラテンアメリカ諸国の国民が、過去の暴力的抗争と経済崩壊の経験から、平和共存の不可避性を学んだことによって可能になったということである。

選挙が機能するようになったために、2000年代になると人数で勝る左派政党が政権を握る事例が増えた。ブラジルも2003年以来4期にわたって左派の労働者党が政権を維持している。それでも革命が起こるきざしも軍事クーデタが起こるきざしもない。民主主義が安定しているということは、人々が我慢強くなったことを意味する。自由市場改革は、競争の勝者と敗者をはっきりさせるので、抗議行動が起こりやすいが、ラテンアメリカでは多くの人々が、暴力に訴えず、改革の結果を見守る道を選んだのである。その結果がラテンアメリカ経済の復活であった。

しかし、再興したラテンアメリカが順調な経済発展の道を歩んでいるかと言えば、そうとは言えない。ラテンアメリカには中所得国が多いが、韓国や台湾やシンガポールのように高所得国の仲間入りをしそうな国は、今のところ一つもない。それどころか「中所得国の罠」に陥りそうな国がほとんどである。いったい何が問題なのか(続く)。