保護主義的反グローバリゼーションポピュリズムと新興国

保護主義的反グローバリゼーションポピュリズムと新興国

2017年3月10日

園部哲史(政策研究大学院大学)

 

ゴテゴテしたタイトルで恐縮だが、反グローバリゼーションにもポピュリズムにもそれぞれいろいろな意味があるので、3つの単語をつなげて本質に近づこうとしたつもりである。何の本質かというと、それはもちろん、世界に不確実性をまき散らしている米国新政権の反グローバリゼーション的な政策である。

米国の製造業は長年衰退を続け、近年は中国その他の新興国との競争でいっそう衰退し、多くの従業員が職を失った。彼らは代わりに単純労働の仕事しか得られず、働き甲斐を感じられないでいることが少なくない。製造業の衰退はさらに続いている。サービス業でも、国外へ事業をアウトソースするオフショア化が進んで、国内の雇用は脅かされている。こうした外国との競争のしわ寄せに苦しんできた人々が、保護主義的政策を掲げるトランプ候補を支持したと言われている。また同候補はテロの脅威を強調し、移民の制限を公約して支持層を広げた。移民の制限は保護主義ではなくて反グローバリゼーションの政策である。

しかし、反グローバリゼーションにもいろいろあり、たとえば途上国の労働を先進国企業が搾取するという懸念や環境破壊が世界に拡散するという懸念からのグローバリゼーション反対運動もあるわけだが、トランプ氏の政策はそれらとは無縁である。彼の移民制限政策は、テロの脅威にかこつけた差別主義の現れかもしれない。また、恐怖をあおるのはポピュリズムの常套手段と言われている。さらにグローバリゼーションを象徴する制度として国連やTPPを非難し、米国経済の自律性回復を主張することによって、国外要因が社会に変化を迫ることに嫌悪を感じる有権者も味方につけた。

新大統領が選挙期間中の発言をそのまま実行するつもりかどうかは不明だが、オフショア化を計画する企業に脅しをかけ、TPPから離脱し、北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉や輸入関税引き上げを繰り返しほのめかし、執拗に移民制限を試みていて、保護主義的反グローバリゼーションポピュリズムを推進する公算が大である。なお、企業活動へ直接的に介入するさまは、全体主義的コーポラティズムを彷彿とさせる。

世界経済が、この保護主義的反グローバリゼーションポピュリズムから打撃を受けることは必定である。米国経済への影響、とりわけトランプ候補を支持した白人労働者たちへの影響は、短期的にはプラスであり得るが長期的にはマイナスと予想される。短期的なプラス要因は、オフショア化の制限による国内の雇用確保と、外国製品への課税による買い叩き効果(すなわち課税によって購入量を減らし、輸入価格の値引きをもたらすこと)による交易条件の改善(すなわち輸入品が輸出品に対してより割安になること)である。長期的にマイナスになるのは、保護された産業からイノベーションの動機が消え、産業のダイナミックな成長に伴う雇用創出が起こらないからである。

米国発のイノベーションは、IT革命期にいったん増加に転じたが、それは一時的に過ぎず、長期的には減っている。その理由はさまざまな規制が革新的企業の参入を阻害していることにあると言われている。ところが新政権が発足してから今日まで、大統領の口からイノベーションという言葉が発せられたことはほとんどないように思われる。新政権はウォール街の期待に応える金融規制緩和を行ったが、イノベーションの活発化につながりそうな規制緩和はいまのところ報じられていない。

こうした内向きの経済政策によって、メキシコは厳しい状況に直面することになると思われるが、中国や東南アジアの新興国はむしろ先進国へのキャッチアップを加速させる可能性がある。後者は、日本もかつて経験した米国との貿易摩擦の激化に悩まされ、これまでの主力産業の輸出減に見舞われるだろうが、それは高付加価値製品を生み出す産業へ産業構造の重心をシフトさせる契機になり得る。今年1月のダボス会議では習近平国家主席が基調講演を行い、グローバル化の推進とその成果の分かち合いに中国が責任あるリーダーシップをとる意欲を示し、注目を集めた。中国をはじめとする新興国の存在感はますます強まり、米国経済の相対的な衰退は加速すると考えられる。

しかしながら、保護主義的反グローバリゼーションポピュリズムが欧州やその他の地域に蔓延するなら、それらの経済はもとより開放型の新興国経済もかなりの窮乏化を余儀なくされよう。米国の保護主義的政策は、他国の保護主義者に口実を与え、報復的な保護主義政策を招き、世界の財サービスの取引や金融取引は破滅的スパイラルを辿って縮小して行く恐れがある。間もなく行われるオランダ総選挙、4月に予定されるフランス大統領選、今年後半のドイツ連邦議会選挙、来年のイタリア総選挙の行方が気になるところである。

それと同じかそれ以上に気になるのが、保護主義的反グローバリゼーションポピュリズムの蔓延はどうすれば防げるかという問題である。経済理論は、グローバリゼーションの進行によって得をする人も損をする人もいるが、全体として得の方が大きいため、適切に富の再配分を行うなら誰にとってもグローバリゼーションは望ましいはずだと説く。しかし、これは迂遠な議論であるうえに、そうした富の再配分の実施方法は未解明のままである。いうならば、グローバリゼーションの犠牲になった人に向かって、「グローバリゼーションは多くの人々を豊かにしたのに、あなたはその機会を掴み損ねた敗者です。勝ち組から施しを受けたらよいでしょう」と言っているようなものである。それより、「我が国は他の国々に対して甘すぎる誤った政策を採ってきた結果、嫌悪すべきグローバリゼーションから被害を受けたのであるから、政策を180度転換するべきである。私はあなた方のために闘う」という主張の方が、はるかに魅力的に聞こえたとしても不思議はない。

負け組にも働き甲斐のある仕事を提供するには、イノベーションを活発化して、産業をダイナミックに成長させることが大切である。そのためには、既得権益を打破して、新しいアイデアを商業的に適用しようとするイノベーターに活躍の場を提供する規制緩和が必要になる。そうした規制緩和の重要性は既に多くの経済学者が論じてきた。しかし、いかにして既得権益を打破するかは、経済学ではほとんど考察されていない。

イノベーション促進のもう一つの有力な手段は、知的所有権保護の見直しである。イノベーターによる独占を認める特許権制度は、消費者がイノベーションの成果の享受することを困難にし、生産者がイノベーションに工夫を加えてさらなるイノベーションを起こすことを阻害してしまう。しかし特許権は、イノベーターが投資費用を回収するために不可欠であるという理由で、必要悪として存在するというのが最近までの通説だった。ところが特許権がなくても、イノベーターはイノベーションから十分な利潤を得られるし、そうであることがむしろ普通であることが分かってきた。そのため特許制度は必要悪ではなくて、不必要悪であるという議論が勢いを増している。しかし仮にそれが正しいとしても、どうやって特許権制度を廃止させ、イノベーションによる利益をどのように分配するとよいかはわかっていない。

このように経済理論は、グローバリゼーションがすべての人を豊かにすることができることや、適切な規制緩和がイノベーションを活発化させられることを説くものの、それを実現するための方策についてはほとんど何も言えていない。かろうじて、その方策が富の適切な再分配や、既得権益との戦いや、独占権の付与に関係するということがわかっているだけである。そしてそれらは政治学の領域に属する問題だろうと考えて、経済学者は踏み込んだ研究を行おうとしない。また、今日の政治学は、富の配分の現状や既得権益の現状の精緻な分析に偏っていて、いかに現状を打ち破るか、いかに改革を実現するかに関する政治学的研究は不足している観がある。

こうしてみると、ポピュリズムがもたらす不確実性をコントロールすることが喫緊の課題となろうとしているのに、そのために不可欠な知見が生み出されていないことがわかる。それは、経済学と政治学の双方がこの課題の解決を他の専門に任せようとして正面から取り組んでいないからである。もちろん正面から取り組むには、経済学だけでも政治学だけでも力不足である。このような知の状況は、新興国がもたらす不確実性をコントロールするための知見を生み出そうと、われわれが新学術領域を立ち上げた時とよく似ている。われわれの新領域には、政治学、政治史、開発経済学、経済史、地域研究等の専門家が参加してきた。ポピュリズムについても、現状分析に留まらずに研究を深めて、望ましい変化を起こすための考察をしようとするなら、われわれの新興国研究と同様に、専門と専門の間の対話が不可欠になるであろう。

以上