慣習と民主主義をどう両立させるか?

慣習と民主主義をどう両立させるか?

川村晃一(アジア経済研究所)

インドネシアの投票データを見ていると、「得票ゼロ」という数字に出くわすことがある。国政レベルの選挙であれば、特定の政党に対する得票がまったくないというのは考えにくい。しかし、このような結果は、中央から離れた特定の辺境地域に見られるため、票の集計段階でミスがあったのだろうと、私自身これまで深く追究することはしてこなかった。

ところが、2014年7月9日に実施された大統領選挙で、この「得票ゼロ」が問題になった。敗者となったプラボウォ・スビアント候補が、複数の地区で自らの得票がゼロだったのは実際の投票が行われなかったためだと主張して、投票のやり直しを求めたのである。

 

■パプア州での「ノケン制」

このような極端な投票結果は、パプア州内の山岳部に位置する14県に集中している。実は、これらの地域では、「ノケン」と呼ばれる独特な慣習にもとづく投票が行われており、それが得票ゼロという結果につながっていたのである。

パプア州の山岳地帯では、選挙の前に部族や集落ごとに投票先を協議するための集会が開かれ、投票前に投票先を決めるという慣行がある。票は、協議の結果にもとづいて、部族ごと・集落ごとに有権者全員分がまとめて特定の候補者に投じられる。その結果、投票は特定の候補者に集中し、他方で得票ゼロという候補者が出てしまうのである。

部族・集落ごとにまとめられた票は、選管の用意した投票箱ではなく、「ノケン」と呼ばれるパプアの伝統的なかばんに入れられる。ノケンは、木の皮や植物の繊維で編まれた素朴なかばんで、ユネスコの無形文化遺産にも指定されている。

 

■「ノケン」は非民主的?

事前に投票先が話し合われ、集団で投票が行われるのであるから、ノケンが「1人1票の秘密投票」でないのは明らかである。また、投票先を有権者が集まって協議するといっても、実際には部族長や集落代表の意向が強く働くこともある。これを普通・平等選挙だと呼ぶのは難しいだろう。

しかし、憲法裁判所は、ノケンはパプア州の山岳地帯という地理的、文化的に特殊な地域で、社会の対立を抑制し安定を維持するための慣習として必要なものだと判断した。近代的民主主義社会へ移行する途上にある地域に限っては、ノケンという伝統的投票慣行を許容する合理性があるというのである。

インドネシアでは、国民議会の採決が「合議と全員一致」(インドネシア語で、ムシャワラ・ムファカット)にもとづいて行われているなど、近代的民主主義という外から導入されたシステムのなかで伝統的な慣行を利用していく場面が他にも見られる。「ノケン」も伝統文化と民主主義の折り合いをつけるためのインドネシアなりの知恵なのかもしれない。