権威主義体制のための2016年タイ国民投票(1)

権威主義体制のための2016年タイ国民投票(1)

玉田芳史(京都大学)

タイでは新憲法草案への賛否をめぐる国民投票が2016年8月7日に実施された。草案は、14年5月22日クーデタで政権を握った軍隊が起草させたものである。軍隊が目指すのは、民選政治家の権力欲制である。どのような草案を作り、どのように可決させたのか。可決はタイ政治のどのような影響を与えるのか。

1 争いの背景
2014年クーデタは、06年9月19日クーデタで達成できなかった目的を達成するための再チャレンジであった。2度のクーデタが狙ったのは、議院内閣制と擬似立憲君主制の関係の調整であった。調整が必要になったのは、一方では君主の交代時期が近づき、他方では政治の民主化に伴って首相の存在感が高まったからである。根底には、君主が象徴にはとどまらず政治に関与する意欲を持ち、その関与を可能にする権威・権限が法的な裏付けを伴わず王位継承者に引き継がれないという事情があった。端的にいえば、君主制の地位が揺らぎかねないという不安がクーデタの主因であった。
不安を緩和する方法は2つある。君主制の改革と代議制民主主義の改革である。クーデタは後者を試みた。1947年クーデタ以後に構築が始まり、78年以後の憲法に国体として正式に明記されるようになった「国王を元首とする民主主義体制」の維持・強化、これがクーデタの目的である。「主権は国民にあり、国王が国会・内閣・裁判所を通じて行使する」という憲法条文が、国民と君主による主権共有を意味すると解釈される。君主は、日常的には国政に関与しないものの、権威に満ち溢れた高所から立法府・執政府・司法府に対して指示や監督を与えることがある。この介入を可能にするのは、君主の絶大な権威である。その権威は相対的な面があり、首相との関係が重要である。端的にいえば、君主は首相よりも人気があることが望ましい。
歴史を振り返ると、1957年以後の首相は、君主を立てるように努めてきた。軍隊や行政官庁を中心とした政権には民主的な正当性がなく、正当性の源泉として君主を必要とした。しかし、90年代以後変化が生じた。92年以後首相が民選議員に限定されて、君主は首相を選ぶことができなくなった。97年憲法で庶民代表の下院の権力を削ごうとして、選挙制度を改革し、エリート主導と想定される執政府の権力を強化すると、政治が激変した。同憲法のもとでの最初の総選挙が2001年に実施されると、圧倒的な支持を受ける政権が誕生した。それまで金品やサービスの提供への見返りとして投票していた庶民が、政権公約に基づいて投票するようになった。庶民は選挙が政権や政策を選ぶ機会であることを知り、選挙政治への拘りを強めた。有権者は、日頃世話をしてくれる候補者に代えて、魅力的な政策と首相候補を提示する政党へ投票するようになった。候補者から政党へという変化を決定づけた政党が、01年、05年、06年、07年、11年、14年と総選挙で連戦連勝をおさめるようになった。過去に遡ってみるとタイで特定の政党が2度続けて第一党になったのは83年が最後であったので、負けない政党の登場は衝撃であった。
高い人気を誇る安定した政党政権を前にしたとき、君主の政治関与は、民意に反する可能性があり、従前ほど容易ではなくなる。絶大な権威を誇った9世王でさえそうである。ましてや、後継の10世王となると、まことに心許ない。となると、民選政治家の権力を削ぐ必要がある。そこで、民選政治家とそれに票を投じる有権者大衆から権力を奪い取ろうとする企てが2005年から顕在化した。
2度のクーデタの背景にあるのは、民選政治家叩きであり、脱民主化である。2006年クーデタはタックシン政権の打倒にとどまらず、政党政治家の権力を抑制する政治制度の設計も狙っていた。それが07年憲法であり、国会と内閣の権力を抑制し、司法府の役割を拡大し、準司法機関と見なしうる独立機関の権限を強化した。こうした措置が有効に機能しなかったため、14年に再度クーデタが決行され、07年憲法よりもさらに抑制機能が強い憲法の起草が行われた。
こうした歴史的構造的背景を踏まえた上で、以下では、2016年のタイで何が起きたのか、タイの政治はどこへ向かおうとしているのかを概観したい。第1に、憲法草案にはどのような特色があったのか。総選挙を実施しても政党に実権を譲り渡さないための工夫を憲法草案に凝らした。それはどのようなものであったのだろうか。第2に、自由でも公平でもないと批判されたキャンペーンはどのようなものであったのだろうか。第3に、投票の結果にはどのような特色が見られたのか、なぜ可決されたのか。これら3点を明らかにした後、国民主権に立脚した代議制民主主義に対抗して、政治に関与する君主制を護持しようとする2度のクーデタの根底にある理由と関連づけながら、新憲法がタイ政治に与える影響を考えてみたい。

2 憲法の起草
2.1起草過程
2014年5月22日に軍隊がNCPO(国家静穏維持評議会)を名乗ってクーデタを決行した。これは、1932年から数えると12回目の成功したクーデタであった。クーデタでは、憲法の破棄、新憲法起草、総選挙実施、「民政」移管が一般的なパターンである。総選挙実施までの日数は、77年クーデタは18カ月、91年クーデタは13カ月、06年クーデタは14カ月であった。憲法が公布施行されると程なくして総選挙を実施する運びとなるので、選挙を先送りしようとすれば、憲法の起草を遅らせることになる。起草に10年をかけた58年クーデタはそのパターンであった。
NCPOは近年では異例に長い時間を憲法起草にかけてきた。NCPOは2014年11月に公法学者ボーウォーンサックを委員長とする憲法起草委員会を設置した。同委員会は、14年暫定憲法35条に定められる10項目の指示に従って、草案を15年8月に完成させた。ところが、草案は9月6日に、NCPOが任命した国家改革協議会において否決されてしまった。クーデタからすでに15カ月以上がたっていた。NCPOは15年10月5日に法曹実務家ミーチャイを長とする起草委員会を新たに設置した。同委員会は一から起草に着手し、第一次草案を16年1月29日に完成させた。NCPO議長が首相を兼任する内閣は、2月15日付けの文書を起草委員会に送付し、16項目の修正を要求した。その16番目では、憲法を公布施行し総選挙を実施した後に、デモ集会が横行し国政が麻痺した14年クーデタ前のような混乱が再現されることを懸念するので、憲法施行直後には特別期を設定し、秩序維持のための必要性に応じて例外をもうけて欲しいと要望した。それに対応した第二次草案(最終案)が2カ月後の3月29日に公表された。
草案は261条までの本文と、262条以下の経過規定から構成されていた。経過規定は憲法の公布施行当初のみ適用される条文である。この草案完成後に、国家改革推進会議が提案し、国会が採択した追加の質問が用意された。8月の国民投票では、憲法草案への賛否と付加質問への賛否に分けて2票の投票が行われた。

2.2 司法府偏重
2001年以後多数派の声が国政に反映されやすくなったため、少数派(の特権)を守るべく、97年憲法で整備されていた広義の司法機関(裁判所と独立機関)が06年以後顕著に活躍するようになり、多数派の暴政への対抗を口実とした少数派の暴政を実現する役割を果たしている。ミーチャイの憲法草案は、特に憲法裁判所を重視していた。
憲法裁判所は、設置根拠法となる2007年憲法が14年クーデタで破棄された後にも存続を許された。97年憲法や07年憲法では、「本憲法に定めのない事態が生じたら、国王を元首とする民主主義体制の統治の伝統に基づいて対処する」という第7条が論争に的になった。05年に始まる民選政権打倒運動において、デモ隊はこの条文を根拠として、国王に首相の解任を繰り返し要望した。選挙で打ち負かせないため、国王に首相更迭を求めたのである。国王自身が06年にそうした権限の行使を明確に否定したにもかかわらず、請願は続いた。
ミーチャイ草案はこの条文を見直して、国政が危機に陥ったときの「鶴の一声」を君主に代えて憲法裁判所に発させようとした。ミーチャイはおそらく君主の交代を念頭においていたのではないかと思われる。民主的な統制が及ばず、国民への説明責任も負わない憲法裁判所が重大な決定権を握ることへ批判が相次いだ。憲法裁判所の判事の中にも過重な負担への懸念を表明するものがいた。このため、最終草案では、何が「統治の伝統」であるのかについては、「憲法裁判所長官が、下院議長、下院の野党指導者、上院議長、首相、最高裁長官、行政裁判所長官、憲法裁判所長官、独立機関の長の会議を招集し」、「多数決で決定し」、「その決定は国会、内閣、裁判所、独立機関、その他の国家機関を拘束する」という内容へと改められた。見直し後にも、司法府代表が多数を占めていることに留意する必要がある。
司法府偏重に劣らず重要なのは、総選挙実施後にも権力を温存しようとするNCPOの強い意欲である。ここでは、選挙制度、経過規定、憲法改正阻止の3点について見てみたい。

2.3選挙制度
従前の選挙制度は、小選挙区375名、比例代表125名の並立制であった。それが小選挙区350名、比例区150名へと改められる。抜本的な変化は、有権者が投じるのが2票ではなく、1票になることである。比例区の議席は、小選挙区での得票率に基づいて配分される。2011年総選挙における選挙区での得票に基づいて計算した場合、新制度では各党の獲得議席がどうなるのかを、チュラーロンコーン大学政治学部のシリパンのデータに依拠して概観してみよう。第1党になったタックシン派の政党は、選挙区で1,427万票(44.9%)、204議席を獲得し、比例区では61議席を得た。彼女によれば、新制度では、同党は500議席の44.9%に相当する225議席の獲得が相当である。しかし、小選挙区で204名の当選者がいるため、比例区で配分されるのは225から204を差し引いた21議席にすぎない。同党の議席数は40減ることになる。他方、第2党以下は、おおむね、獲得議席が増える。
これは、小選挙区で獲得議席が多い政党が、比例区で不利になる制度である。憲法起草委員会は、死票を減らすのが狙いと説明している。そうであれば、全議席を比例代表制にすればよい。そうしないのは、本当の目的が常勝政党の獲得議席数を減らし、中小規模政党乱立と連立政権を不可避にしたいからである。この選挙制度は、他の憲法規定と組み合わさることで、非政党人が首相に選出される可能性を高める。

2.4経過規定
経過規定とは、憲法草案の末尾に盛り込まれる262条から279条にかけての規定である。経過規定の269条において、当初の5年間については、上院の定数を200名から250名へと増やし、全員を実質的にはNCPOが任命することにした。
250名へと増やしたことに大きな意味がある。ミーチャイ委員会の第二次草案が2016年3月29日に完成した直後に、総選挙後の首班指名選挙での投票権を任命上院議員にも認めてもよいかどうかという質問の追加を、国家改革推進会議が国会に向けて提案したからである。付加質問を第二次草案そのものに含めなかったのは、草案が否決される可能性が高まるからであろう。事後的に4月22日に公布された法律で、付加質問に法的効力が付与された。付加質問が可決されたら、第二次草案の修正が行われる。狡猾な後出しジャンケンと言えよう。
下院の定数は500名である。そこにNCPO任命の上院議員250名が加わって首相を選ぶことになる。つまり、NCPOは首相選出にあたって、3分の1の票を握ることになる。隣国ミャンマーで軍事政権が作った憲法では、軍隊任命の国会議員は4分の1にとどまるので、タイの新憲法はその上をいくことになる。
しかも、首相は民選議員に限定されない。タイでは1992年5月以後、首相を民選議員に限定する規定が憲法に盛り込まれてきた。しかし、ミーチャイ草案ではその限定が解除された。下院の多数派代表ではなく、院外の勢力(軍隊や王室)の支持を受ける人物に首相就任の道が開かれようとしている。
これと関連して、草案88条では政党は総選挙前に首相候補3名を選管に届け出ることになっている。これは新機軸である。ところが、経過規定の272条では、憲法公布施行後初回の総選挙では、「何らかの事情により、憲法88条に基づいて政党が首相候補としていた人物を首相に任命できなくなり」、「下院議員の過半数が候補者名簿からの任命という規定の適用除外に賛成し」、「上下両院の合同会議で3分の2以上の賛同が得られるならば」、下院は候補者以外から首相を選んでもよいと規定されている。首相選出で紛糾したら、政党の候補以外から選んでもよいということである。
1980年代には、総選挙で過半数の議席を獲得する政党がなく、軍幹部が調整役となって連立政権を組み、下院多数派にプレームの首相就任を応諾させていた。次回の総選挙後には、それと似通った事態が生じる可能性が高い。新奇な選挙制度ゆえに、第1党が過半数の議席を獲得するのは難しく、連立政権が必至である。3分の1票を握る軍隊が、政党政治家に圧力をかけて、意中の人物を首相とする連立工作に邁進することになろう。

2.5改正阻止
代議制民主主義を抑制し、軍隊の権力を温存する憲法を作っても、国民代表によって改正されてしまっては台無しである。ミーチャイ草案には、憲法の改正を事実上不可能にする規定が盛り込まれた。2007年憲法の時代に、与党が国会で憲法改正を何度か試み、憲法裁判所が憲法の条文を無視して違憲判決を下さなければ阻止できなかったことへの反省に基づいた措置である。
改正の提案は国会議員の5分の1の賛同を得れば可能である。しかしまず、国会での審議を始めるには、上下両院議員の過半数のみならず、上院議員の3分の1の賛同を得る必要がある。これが第一の関門である。上院は、実質的には任命であり、とりわけ当初の5年間はNCPOが任命する。この上院において3分の1の支持を得るのは至難の業である。
上院の支持を得て審議が始まっても、採決にあたっては、上院議員の3分の1以上の賛同、そして下院各党の2割以上の議員の賛同を得る必要がある。2016年1月完成の一次草案では、各党の支持は1割であったものが、3月の二次草案では2割に引き上げられた。改正阻止の意欲がよく示されている。上述のように中小規模政党の議席獲得を助ける選挙制度が採用されるため、小さな政党が議席を獲得する可能性が高い。泡沫政党に所属する議員の2割以上に反対票を投じさせることは、説得・買収・脅迫などを駆使すればたやすい。これが第二の関門である。
さらに、憲法の規定のうち、1)総論、君主制、憲法改正に関わる改正である場合、2)各種公職への就任の資格要件に関わる憲法条文を改正する場合、そして3)裁判所や独立機関の職権に関わる改正をする場合については、国会での可決後に、国民投票を実施しなければならない。これが第三の関門である。
このような縛りをかけられた憲法を改正するには、再びクーデタに訴えるか、それに匹敵する騒乱が勃発するのを待たねばならないであろう。いずれにしても、国民主権を蔑ろにする憲法草案に、国民からの同意という装いをまとわせるために欠かせないのが国民投票であった。