中国における農村・都市間労働移住が子供たちに与える影響

中国における農村・都市間労働移住が子供たちに与える影響

政策研究大学院大学

山内 慎子

 

 近年多くの新興国において急速な経済成長が続いているが、多くの場合それは農村から都市へ移住する安価な労働力によって支えられている。農村に余剰な労働力がある限り、それが労働需要の旺盛な都市部へ移動すれば国全体の生産性が上がり、経済成長の便益が都市だけでなく農村にも分配されることに繋がる。よって労働移動は農村にとっても都市にとっても利益のあることと考えられる。しかし経済が急速に成長する時期には、経済格差が拡大したりそれに起因する社会不安が増えたりすることもある。特に農村出身者(いわゆる「よそもの」)が都市へ流入するような場合は、様々なグループ間の格差が際立ち、衝突が起こることが考えられる。このため経済成長期にある新興国の動向を追うには経済面を見るだけでなく、社会的な不安定要因を注視することが重要であろう。

 農村からの出稼ぎ労働者は概して制度的・慣習的に都市で差別されたり権利が制限されたりする可能性がある。この問題が極めて顕著に表れるのが中国である。これは中国特有の戸籍制度に基づくもので、自分の元々の戸籍がない地域では受けられる社会・行政サービスが大幅に制約されるのである。日本で引っ越しをすれば新しく住む土地の自治体から住民票が発行され正当な住民とみなされるが、中国では原則として生まれた土地の戸籍が一生ついて回る。特に農村から都市への切り替えは難しく、都市部大学への入学など特別なケースを除いて、殆どの農村出身の都市部労働者は戸籍を移動せずに出稼ぎをしている。そして出稼ぎ労働をする親についてきた子供たちも戸籍を農村に残したまま都市での仮住まいをすることになる。

 この仮住まいは具体的にどんなものになるのか? まず最低限健康な生活を送るために重要なのは、農村出身者は都市で公的医療サービスを受けられないか、受けられても多額の費用が必要となることである。このため移住者やその子供は怪我や病気に適切に対処できず、健康状態を悪化させる懸念がある。また公的教育サービスも同様に制限されている。移住者の子供が公立学校へ通うには、高額の費用を払うか親が都市部で安定した職に就いていることを証明しないといけないと定めている市が多い。これに対処するため移住者が教師を務める「移民学校」が開設される場合もあるが、その質は一般の学校より劣ることも報告されている(Han,2003)。こうした環境では農村出身の子供の学力は伸び悩んでしまうと懸念される。

 このような差別に直面する出稼ぎ労働者やその子供の数は少なくない。中国の国家統計局の発表によれば、2011年時点でおよそ1.6億人の農村出身労働者が都市で働いていた(NBS, 2011)。農村人口の都市への流入により、2011年には初めて全人口に占める都市部居住者の割合が半分を上回ったほどである。またState Council Research Group (2006)の推計によると、2000年台初頭には既に1500万人もの農村出身の子供が労働者として都市へ移住した親とともに暮らしていた。現在ではこの数は一層増えていると考えられる。労働移動は今後もさらに続くと考えられ、それに伴って都市へ出てくる農村出身の子供たちも増えるであろう。こうした移住者に対する差別を軽減し子供たちの健全な人的資本育成を促すことが、新興国が安定した発展を遂げるための重要な要素の一つとなると考えられる。

 一方農村に取り残される子供たちも経済成長や都市化の裏で悪影響を受けていることが懸念される。彼らは親と離れて暮らす精神的苦痛を強いられ、愛情・世話・しつけなどを欠いたまま幼少期を過ごす。金銭的には都市からの仕送りが学校や病院へ通ったりするための手助けになるかもしれないが、親との触れ合いを通した心身的成長は阻まれるかもしれない。また、面倒を見てくれる親戚がいない場合は寄宿学校で暮らす子供もいるが、こうした学校は衛生状態や設備の面で問題が多いと報告されている(REAP, 2009)。

 これらの問題は現在の子供たちの健全な成長のみならず新興国の長期的発展にも影響を及ぼす。というのは労働経済学の分野において、幼少期の心身発育が損なわれると、生涯に稼ぐことのできる所得が落ち、犯罪を起こす確率が高まるなど、大人になってからの人生にも影響が出ることが示されているからである(例えば、Heckman, Stixrud and Urzua, 2006)。

 中国において長期的な出稼ぎ労働が子供の成長を脅かす問題は深刻視されているにもかかわらず、科学的データに基づく包括的分析は未だ乏しい。特に、親と共に都市へ移住した子供に対する影響に関する研究は少ない。そのうちの一つは、Liang and Chen(2007)である。彼らは、都市と農村を行ったり来たりする子供の就学率が農村の子供に比べても低いことを報告している。また、健康面においても農村からの移住者とその子供の予防接種率は低く、移住者は子供の健康状態をよく把握していないことが示されている(Chan et al., 2008)。これらの研究は、都市へ移住した農村出身の子供が学力・体力という人的資本を形成する上で、都市出身の子供や農村に残った子供に比べて遅れをとる可能性を示唆している。しかし、これらの研究で用いられた手法は記述的で、報告された格差は厳密に労働移動によるものなのか、もともと就学意欲が低い子供や医療サービスへの興味が低い親がいる世帯において移住が起こりやすかったのか、定かでない。また、一時点での情報に限られるため、都市部へ移住してから年月が経つにつれて格差が解消されるかどうかも明らかにされていない。地域も限定的であるため中国全体での問題の深刻さも未だに不明である。

 また農村部に残される子供への影響に関しては、Chang, et al.(2011)が、家族の出稼ぎが始まると子供が農作業や家事に携わる時間が増えることを報告している。つまり、家族の代わりに大人がする仕事を任されてしまう子供の姿が浮かび上がる。高等教育に該当する年齢の子供の場合は、家族の誰かが労働移住をすると逆に就学確率が低まることが知られている(De Brauw and Giles,2008)。彼らは学校よりも都市へ出て働くことを選ぶようになってしまうのだ。この選択は、短期的には家族の所得を増やすかもしれない。しかし、中卒のまま働き始めると、中国経済が高度化した際必要とされるだけのスキルを持ち合わせず、長期的には所得が伸び悩む可能性をはらんでいる。このように教育の「量」に関係する就業率が減る一方、教育の「質」を表す学力については、Chen, et al.(2009)が、親が出稼ぎを始めると子供のテストの点数があがることを報告している。この矛盾する報告は地域差によるかもしれないが、根本的に親の出稼ぎが子供に与える影響に関してコンセンサスが得られていないことを示している。さらに健康面では、家族の誰かが出稼ぎに出た世帯では、小学生の子供が低体重になったり(deBrauw and Mu, 2011)、両親と離れたことによる心理的不安を訴えるようになったりするという報告があるが(Ye, Murrays and Wang, 2005)、教育面への影響に比べて私たちの理解はいまだに乏しいと言わざるを得ない。

 この様に、中国をはじめとする新興国で出稼ぎ労働者が急増する中、親の出稼ぎが子供たちに与える影響については、その重要性にもかかわらず、わかっていないことが多い。この科研費プロジェクトではこうした子供たちの健康状態や学力がどういった環境下でどう変わるかということを分析する。そして、新興国の安定した発展に寄与する政策的インプリケーションを導くことを目標としたい。

 

参考文献

Chan, E.Y., S. Griffiths, Y. Gao, C. W. Chan, and T. F. Fok (2008) “Addressing disparities in children’s health in China,” Archives of Disease in Childhood 93:346-352.

Chang, Hongqin, Xiao-Yuan Dong, and Fiona Macphail (2011) “Labor Migration and Time Use Patterns of the Left-behind Children and Elderly in Rural China,” World Development, 39, 12, 2199-2210.

Chen, X., Q. Huang, S. Rozelle, Y. Shi and L. Zhang, (2009) “Effect of Migration on Children’s Educational Performance in Rural China,” Comparative Economic Studies 51:323-343.

De Brauw, A. and J. Giles (2008) “Migrant Opportunity and the Educational Attainment of Youth in Rural China,” mimeo., Michigan State University.

deBrauw, A. and R. Mu, (2011) “Migration and the overweight and underweight status of children in rural China,” Food Policy, 36, 88-100.

Han, J. (2003) “Report on Migrant Children’s Education in Beijing,” in P. Li. eds. Peasant Migrants: Socioeconomic analysis of Peasant Workers in the Cities, Beijing: Social Science Publishing House.

Heckman, J., J. Stixrud, and S. Urzua (2006) “The effects of cognitive and noncognitive abilities on labor market outcomes and social behavior,” Journal of Labor Economics 24:411-82.

Liang, Z., and Y.P. Chen. 2007. “The Educational Consequences of Migration for Children in China,” Social Science Research 36(1):28-47.

Meyerhoefer, C. and Chen (2011) “The effect of parental labor migration on children’s educational progress in rural china,” Review of Economics of the Household, 9(3), 379-396.

National Bureau of Statistics of China (NBS), 2012, China Statistical Yearbook, China Statistics Press, Beijin

REAP, 2009, Boarding Schools, http://reap.stanford.edu/docs/boarding_schools/State  Council Research Group (2006) Report on Migrant Workers in China (中国民工), Beijing: China Yan Shi Publishing House.

State Council Research Group (2006) Report on Migrant Workers in China (中国民工), Beijing: China Yan Shi Publishing House.

Ye, J., J. Murray, and W. Y. Huan, eds. (2005) Left-behind children in rural China: Impact study of rural labor migration on left-behind children in Mid-West China, Beijing: Socail Sciences Academic Press.