「幸せを運ぶ」クーデタ?−タイにおける銃弾なき市街戦−(1/3)

「幸せを運ぶ」クーデタ?

−タイにおける銃弾なき市街戦−

(1/3)

相沢伸広

九州大学比較文化社会研究院

 

 5月22日プラユット・タイ陸軍司令官がクーデタを宣言した。二日前に戒厳令を発令し、治安維持に関する全権を掌握していた陸軍は、クーデタによって行政権も立法権も一手に握った。クーデタという言葉が連想させる銃撃戦や、時の権力者に銃口を向けて権力委譲を迫るといったドラマチックな局面は今回のタイのクーデタには存在しない。クーデタは一発の銃弾を打つ事もなく、完遂された。 

 クーデタは、プラユット陸軍司令官が主宰し、インラック首相失職後を継いだタックシン派の暫定政権閣僚とステープ元副首相ら反政府運動の指導者らを集めた会議のさなかに行われた。この会議は、2013年11月以降に激化したタックシン派政権と反タックシン派の反政府運動の対立解消を、暫定首相の辞任を求める形で収束させることを企図したものであった。一方、暫定政府側はこの会議で辞任の意思がないことを繰り返した。暫定政府の譲歩を引き出せないプラユット陸軍司令官は「それならば私が」と政府の行政権掌握を宣言し、会議に参加した全員を拘束し、クーデタが完遂した。2006年9月19日から約7年と8ヶ月ぶり、タイの憲政史上12回目のクーデタであった。

 それから2ヶ月後の7月23日、軍政は暫定憲法(議会総選挙まで有効)を制定し、軍政トップの権限が首相に優位する形で権限が規定され、クーデタという超法規手段に訴えた関係者全員を免責とした。暫定憲法下で、立法機関であり内閣を任命する国家立法議会の議員は、200名全員が軍政の任命議員となった。7月31日その200名が任命され、過半数の105名が現役、退役軍人から構成される、軍偏重の翼賛会議となった。

 こうして、クーデタ実行から暫定憲法制定までのこの二ヶ月間、いわば軍による政権奪取過程の第一ステージにおいて、軍は一人も殺すことなく、圧倒的な権力を独占することに成功した。一人も殺すことなく、それでいて国民の心理に軍に対する恐怖を植え付けることにも成功した。二カ月たって、反クーデタ勢力の声は沈黙しつつある。エジプトがクーデタ後(公式にはクーデタという呼称は用いられていないが)にムスリム同胞団をはじめとする反クーデタ勢力を多数粛清したのとは対照的である。頻発するタイのクーデタの歴史の中で培ったノウハウがいかんなく発揮された二カ月であった。以下にその二カ月を簡単に振り返りたい。

言論封殺と出頭命令

 「幸せをとりもどす」ことを唱えて権力を掌握した陸軍が最初に取り組んだのは、国民の目と耳と口を塞ぐことであった。クーデタを正当化できるか否か、第一の勝負は言論空間にあると見極めた軍は、これまでにない徹底的な言論統制に乗り出した。クーデタの定石どおり、まずテレビ、ラジオ等の放送局は軍の管轄下におかれ、政治番組は軒並み中止され、政治的に当たり障りのない番組だけが放送をゆるされた。軍が声明を流す時間帯は全局一斉放送となり、クーデタに批判的な見解を述べるブログ、ニュースサイトは次々と閉鎖された。各放送局には銃を構えた兵士が常駐し、放送内容に監視の目を光らせ、反クーデタのメッセージを流せば経営者は即クビにされた。

 軍政は、バンコクの政治情勢を地方に伝える上で重要な役割を担ってきた何百とあるコミュニティラジオを次々と放送停止に追い込み、首都と地方の情報伝達の分断に注力した。なによりFacebookやLineといったSNSの言論空間に対しては神経質なまでに監視を試み、軍政に異を唱えるコメントを載せた(さらにはそのようなコメントに「いいね!」をクリックした)当人をあぶりだし、軍法会議における訴追対象とした。SNSの事業体にはそのような発言を放置すれば事業停止に追い込むと圧力をかけ、さらには書き込みに関する捜査において個人が特定できるよう軍政に「協力」するよう要請した。この「協力」要請について、タイで最も人気があるFacebookとLINEについては軍政の通信データ開示要請には応じておらず、現在は軍政自身がFacebookやLINEにユーザーとして入り込み、問題発言を行う人物の洗い出しに目を光らせている。

 放送・通信規制を通じて国民の目と耳を塞ぎつつ、それ以上に軍が優先的に展開したオペレーションは、軍政に対する批判的な知識人の口を封じる事であった。軍政は発信力のある名だたる活動家、学者、ジャーナリストらに出頭命令を発し、テレビ放送を通じてその名を毎日のように一人一人読み上げ、出頭に応じた知識人を国軍施設に1日−7日間にわたって拘束した。

 多くは一週間以内に釈放されたものの、国軍施設の一週間はまさに「心理戦」であったと拘束された人は証言する。釈放にあたっては次の内容が記された書面に署名する事がもとめられる。まず拘束中、一切の暴力、強制、拷問等を受けなかったことを証明すること。次に、国軍の許可なく国外には出ないことを約束すること。そして、いかなる政治運動、政治集会に参加しないこと。最後にこれらの点について違反するもしくはいかなる政治集会をも支援すれば、即座に訴追され銀行口座を凍結されることに同意すること。

  拘束された一人、タイの英字紙Nationのプラヴィット記者によれば、実際に拘束中は意外なほど丁重に扱われ、暴力や拷問をうけることはなかった。ただ、釈放の条件として上記の内容の書面に署名する事が求められたことの、心理的抑え込み効果は侮れないと述べる。「軍に従えば丁重に扱われるが、軍に逆らえば酷い目にあう。君の人生の幸せは軍に従うか否かで決まる」ということを了解させることにある。

 では、軍の出頭命令に応じなかった場合にはどうなったか。まずは、軍による捜査が展開され、逮捕されれば一審制、弁護人なしの軍事法廷において裁かれる。軍の出頭命令を拒んだ時点で、タイの銀行口座は凍結され、その後逮捕されれば40万バーツ以下の罰金刑または二年以下の禁固刑、もしくは両方の刑に処されることとなる。クーデタへの反対運動を行って来た人々は、軍の出頭命令リストに自らの名が含まれていないかどうか、毎日不安に駆り立てられながら軍の放送を注視する日々を余儀なくされる。場合によっては夜の10時頃に携帯電話が鳴り、12時間後の翌朝10時までに近くの軍本部に出頭せよという急な出頭命令が下されることもある。これまでの言論活動において身に覚えのある人間は、軍による拘束の恐怖に日夜苛まれ、やがてその恐怖から抜け出すためにクーデタ批判をやめる、つまりは自己検閲をするようになる。潜在的な批判者が身の安全のために言論の自己検閲を始めるというのは監視体制の究極目標である。この二カ月間、軍は一人も殺すことなく、国民とりわけ知識人にその恐怖を浸透させたのであった。