変わりゆく上海‐行きつく先はシンガポールか、ペナンか‐

変わりゆく上海‐行きつく先はシンガポールか、ペナンか‐

九州大学
鬼丸武士

 

   経済的発展著しく、新興国の代表選手である中国。その最も象徴的な都市は、間違いなく上海であろう。浦東(プートン)に立ち並ぶビル群は、上海の、そして中国の経済的発展を誇示するように、その高さを競い合っている。

 この浦東の向かい側、かつてバンドと呼ばれた外灘(ワイタン)には、20世紀初頭に建築された香港上海銀行や海関、かつてのサッスーン・ハウス、横浜正金銀行などの建物が並んでいる。この外灘の建築群は、「東洋のパリ」と呼ばれた20世紀初頭の上海の経済的繁栄の結晶であった。

 黄浦江を挟んで対峙する現在と100年前の上海の繁栄の象徴は、この地を訪れる観光客にとって絶好の撮影スポットとなっている。

 外灘に立ち並ぶ建物は観光資源として保存されるのは間違いない。しかし、外灘を離れ街の中心に向うにつれて古い建物が取り壊され、新しいショッピング・モールなどに建て替わっている。

 私が初めて上海の地を踏んだのは、1990年代半ばのことであった。この時の目的地は敦煌の莫高窟だったので、上海には確か行きに1泊、帰りに2泊しただけだった。時間も土地勘もなく、かつ宿泊したのが虹橋国際空港近くの銀河賓館(ギャラクシー・ホテル)であったので、外灘の方まで足を延ばすこともできず、街全体がどうなっていたのかは知るすべもないが、ホテルの窓からは建築中の建物がたくさん見え、街全体も建設ラッシュのせいか埃ぽかった印象がある。

 次に上海を訪れたのは、2007年になってからだ。この時は1920年代、30年代にこの地で活動していた国際共産主義者の足跡を訪ねることが目的であった。3日間、大修館書店から出版されている木ノ内誠さんが編んだ『上海歴史ガイドマップ』を片手に、街中を徹底的に歩き回った。

 当時、私が追いかけていたのは、1931年に上海で当時の国際共同租界の警察機構である工部局警察高等課によって逮捕された、イレール・ヌーランという男であった。このヌーランは、第3インターナショナル、通称コミンテルンが東アジア、東南アジア地域での共産主義運動を支援する目的で上海に設置した極東局で、連絡担当のスタッフとして活動していた。

 1931年6月、彼の存在は工部局警察高等課によって探知され、尾行がつけられる。その時の警察の報告書をもとに、ヌーランが上海で使っていたアジトの場所、彼が尾行をまくためにたどった道筋などを探し、歩き回った。(この事件の詳細を知りたい方はぜひ拙著『上海「ヌーラン事件」の闇』(書籍工房早山)をお読みください)

 それだけではなく、当時上海にいたアグネス・スメドレー(アメリカ人の女性活動家)や尾崎秀実(当時、朝日新聞記者。後にゾルゲ事件で逮捕)が暮らしていた場所なども訪ねてみた。

 この時は北京路や香港路、四川路、さらにはかつて「日本租界」と呼ばれていた虹口の街並みは、第二次世界大戦前の繁栄を誇った上海で建てられたままの姿を留めているものが多かった。

 また宿泊したのもリノベーションする前の和平飯店(ピースホテル)の北楼だった。これはかつてサッスーン・ハウスと呼ばれていた建物で、上海の大財閥であったサッスーン家によって建てられ、バンドを代表する建築物の一つであった。ホテルの中は古びていたが意匠を凝らした造りになっており、一見の価値があるものだった。またこのホテルの南楼はかつてパレス・ホテルとして営業していた。このパレス・ホテルは孫文が宿泊し、蒋介石が結婚披露宴を開いたことで知られている。

 この2007年の調査では、街角で上海に租界があった時代の息吹を感じることができた。しかし、これ以降、上海を訪れるたびにこの息吹はどんどん失われていくことになる。

 ヌーランのアジトの一つがあった、南京路と四川路の交差点に面するセントラル・アーケード。2007年当時は「中央商場」として営業中で、まだ中に入ることができた。しかし、現在は閉ざされ今後どのような運命が待ち受けているのか、はっきりとしない。

 蒋介石が披露宴を挙げた和平飯店南楼のボール・ルームも、和平飯店のリノベーションとともに取り壊され、現在はブランドショップが並ぶショッピング・モールになっている。

 北京路や香港路、円明園路の界隈も、ペニンシュラ・ホテルの開業とともに古い建物が取り壊され、新しい建物が建設されつつある。

 これはかつての国際共同租界だけではなく、フランス公界、日本租界と呼ばれていた虹口の近辺でも同じで、行くたびに古い建物が姿を消し、ショッピング・モールやコンドミニアム、ホテルなどに建て替わっていくのを目にする。

 経済発展とともに人々の暮らしぶりも変わり、100年も前に建てられた古い建物が不便になり、新しい建物に建て替えたくなるのは当然である。しかし、かつての上海の名残がどんどん姿を消していくのを見るのは、この街の歴史に興味があるものにとっては心が痛むのもまた事実である。

 この歴史建造物の保存ということでは、東南アジアのかつての英領植民地である、シンガポールとペナンは全く違う対応をした。

 シンガポールは経済発展に伴い、かつてのチャイナ・タウンや目抜き通りであるオーチャード街に立ち並ぶ建物を取り壊し、新しい建物へと変えてしまった。そのため、この街にはかつての歴史を留めている建造物は驚くほど少ない。

 一方、ペナンはかつての中心地であるジョージタウンの街並みを保存し、観光資源とする道を選んだ。その結果、2008年にマラッカとともに世界文化遺産に登録され、今ではマレーシア観光の目玉の一つとなっている。

 上海が今後、シンガポールの道を選ぶのか、ペナンの道を選ぶのか。それはおそらく10年も経たないうちに答えが出るだろう。