社会政策と社会民主主義からみるフィリピン、ベニグノ・アキノ政権のもう一つの顔(1/2)

社会政策と社会民主主義からみるフィリピン、ベニグノ・アキノ政権のもう一つの顔 (1/2)

高木佑輔(政策研究大学院大学)

はじめに

2014年11月、フィリピンを代表する社会学者の一人ランディ・ダヴィッドは、主要紙に「政治を擁護する」というコラムを掲載した(David 2014)。コラムの中で彼は、政治という言葉が何か悪いものの代名詞になってしまうことに警鐘を鳴らした。フィリピンを知る読者であれば、彼がフィリピン政治の現状を踏まえてコラムを執筆したことは明らかであろう。現ベニグノ・アキノ政権は、汚職撲滅を政権の主要課題として2010年に発足し、前グロリア・マカパガル・アロヨ政権期(2001-2010年)の汚職追及を熱心に進めてきた。2013年には、政権の予算執行手段に対して違憲判決が出されるなど政権側にも不正追及の矢が向けられた。2014年に入ると、大統領に対抗する上院議員があたかも狙い撃ちされたかのように逮捕された。現段階での最有力次期大統領候補ジェジョマー・ビナイ副大統領(ただし、大統領派ではない)にまつわる疑惑報道も過熱している。他方で、フィリピン政治研究の主流派は、常に何らかの形で政治における汚職やパトロネージの役割に言及してきた。一般に、パトロネージ政治においては、政治家が自らの選挙区への利益誘導に汲々とする結果、経済成長や社会福祉といった社会全体の問題が軽視される傾向がある。現在の報道からも、積み上げられた学問の潮流からも、汚職やパトロネージがフィリピン政治の代名詞となる状況があることは否定しようがない。

このような状況に対し、ランディは政治を政治家同士の権力闘争のみに還元することの問題を指摘した。彼によれば、政治とは本来、共通の目的、目的を実現する手段、目的や手段をだれが決めるのかを決定する行為であるという。このような行為は、共同体の生活にとって欠かせないものである。共同体は複数の成員からなるのだから、政治はしばしば、多数派と少数派との権力闘争を含む。ただし、彼は行政と世論という側面にも注意を向けるよう提言する。行政とは、政府が法律、政策やプログラムを通じて政治権力を行使することである。世論とは、そのような行政に対する人々の評価であり、世論を通じた意思表明は政治参加の一形態でもあるという。このように政治をとらえなおした上で、政治的目標追求は、個人的な利益の追求と区別されるべきだという(David 2014)。換言すれば、政治は、権力闘争、政策、そして世論による評価の側面があり、それらを全て考慮する必要がある。

本稿は、このようなランディの指摘を踏まえて、政策、特に教育や保健といった社会政策に注目してアキノ政権の政治を再考してみたい。後述するように、アキノ政権は、発足以来次々と社会政策改革を断行してきた。あえて断行という強い言葉を使ったのは、いずれの政策においても強固な反対勢力があり、政策の遂行には政治的意思が欠かせなかったと考えるためである。このように考えると、一見、政治家同士のパイの奪い合いにしか見えないフィリピン政治においても、社会全体の利益を考える政策当事者の存在を想定することができる。そこで、本稿後半では、そのような政策当事者の一例として社会民主主義者の存在に注目する。もっとも、アキノ政権下で進む社会政策改革と、政権中枢にいる社会民主主義者のつながりを明示するためには本格的な政策過程分析が必要である。本稿は、そのような政策過程分析の準備作業として、現状で手に入る二次文献を整理し、汚職やパトロネージ政治だけでは理解できないアキノ政権のもう一つの顔を素描する試みである。

1.アキノ政権の社会政策改革

アキノ政権は、長年の懸案であった基礎教育12年化を実施した。さらに保健分野では、リプロダクティブ・ヘルス法(共和国法10354号)、改正悪行税法(共和国法10351号)、同法による税収を主な財源とする皆保険制度(共和国法10606号)を整備した。いずれの法律も、一部の専門家や政策当事者は長年の懸案事項として認識していたものの、それぞれに強固な反対派が存在して改革の実現に時間がかかっていた。

基礎教育12年化とは基礎教育期間の延長を目指す教育改革である。現在、フィリピンの公教育では、小学校6年、高等学校4年の計10年の教育期間が基礎教育期間として定められている。アキノ政権は、現存の高校に加えて2年間の上級高校を設置することを目指している(実際に上級高校が開校するのは、新カリキュラムで高校を卒業する生徒が誕生することになる2016年)。基礎教育12年化に対しては、教育に関わる様々なコストを背負いきれないと考える人々が反対してきた。また、性教育の普及や避妊具の無償給付を義務付けるリプロダクティブ・ヘルス法に対しては、カトリック教会が中絶の容認に至る可能性を懸念して強力に反対した。民主化以降のフィリピン政治における教会の政治的影響力を考えると、カトリック教会の反対する政策を推し進めることは政権にとって大きな政治的リスクであった。さらに、タバコとアルコールに対する物品税である改正悪行税に対しては国内のタバコ農家やタバコ業界を中心とした根強い反対が存在していた。実際、反対勢力の影響力は大きく、上記いずれの政策も、前アロヨ政権は改革を見送るか骨抜きにしていた。

また、社会政策の拡充は、パトロネージに依存した政治社会の構造改革という側面もある。社会政策改革を理解するためには、パトロネージ政治に拘泥しない政治的な行為主体の存在を想定せざるを得ない。それではこのようなリスクを冒したのは誰で、どのような意図に基づいていたのだろうか。以下では、詳細な政策過程を行うための一つの準備作業として、フィリピン政治分析で長らく軽視されてきた社会民主主義的理念と、それに基づく政策当事者のネットワークに注目してみたい。フィリピンの社会民主主義を理解するためには、当事者たちが編纂した回顧的著作Socdem(SocdemはSocial democracyを略した造語)が役に立つ(Tolosa 2013)。社会民主主義者自身による回顧録でもある同書を読むと、フィリピン政治の争点が汚職だけではないことがよくわかる。