通貨から見た中国経済:E・W・ケメラー調査報告書(1929年)を手掛かりに

通貨から見た中国経済:E・W・ケメラー調査報告書(1929年)を手掛かりに

 

東京大学大学院経済学研究科

城山智子

 

    1929年、プリンストン大学教授エドウィン・ウォルター・ケメラーは、中国国民政府に招聘されて、通貨に関する調査を行った。当時、中国は、金本位制を紐帯とする国際通貨システムの中で、唯一銀本位制を採っていた。19世紀末から第一次大戦期を除いて国際銀価が漸落を続けたことは、中国の輸出入産業には有利な条件であった。一方、日清戦争と義和団事変によって、諸外国に多額の賠償金支払い義務を負うことになった清朝政府と、それらの債務を引き継いだ上に、新たな外国借款を重ねた北京政府と南京国民政府にとっては、金本位通貨建てでの返済の負担が、為替レートの下落によって増加することは、大きな問題であった。通貨システムを改革し、金本位通貨との間の交換レートを安定させるべく、国民政府は、第一次大戦後のドーズ案の財政専門官や、グアテマラ、メキシコ、コロンビア、ボリビアなどの中南米諸国、フィリピン、南アフリカ、ポーランドなど世界各地で財政顧問や使節団長を務め、「マネー・ドクター」と呼ばれたケメラーの助言を仰いだのである。

    政府のバックアップを受けたケメラーの調査は、全国の主要な商業中心都市にある中国銀行、交通銀行、英米煙草会社、スタンダード石油の支店に、その地域での通貨・金融に関する質問票を配り、回答を集計するという大規模なものであった。その結果を踏まえて提出された、Commission of Financial Experts, Project of Law for the Gradual Introduction of a Gold-Standard Currency System in China Together with a Report in Support Thereof は、

厳格に言えば、フランス、イギリス、及び合衆国における通貨制度と同様の意味に於いては、中国の通貨制度なるものはない。中国には中央政府及び各省政府の鋳造した貨幣、及び中央銀行の発行した兌換券は確かに存在するが、中国どこでも完全に一様の通貨制度は存在せず、又現に存在するそれぞれの地域毎の通貨制度は、全国全体に通用するものではないのである。

と述べている。ケメラーが見たのは、発行の主体を異にする(中央・地方政府、外国政府、内外の民間金融機関等)、様々な形態の貨幣(硬貨、紙幣、金属塊)が、地域ごとに流通しているという状況であった。幣制改革への提言を求められていたケメラーの調査団にとっては、頭を抱えるものであったであろう複雑な通貨流通の状況に関する調査報告書は、既に宋代(960年~1279年)から市場経済を発達させてきたとされる中国が、どの様な通貨システムを備えていたのかについて、貴重なデータを提供している。

                                                      

                                                            図「中国における銀元(銀貨)の流通 1929年」

    ケメラー調査報告書から読み取ることのできる特徴の一つは、通貨は国家・政府の政策決定であるばかりでなく、使い手の一般市民によって選好されるものである、ということである。カルロス・ドルや、メキシコ・ドルが東南沿海部で流通していたのは、東インド会社との広東貿易の影響であり、同様に、雲南でフランス植民地ベトナムのサイゴン・ドルが使われたのは、現地での越境貿易に対応したものであった。また、貨幣への信認は、中国では伝統的に、銀地金によって担保されてきた。1911年の清朝終焉後、各地で軍閥や財政基盤の弱い地方政府が乱立し、財政拡張を目的として、必ずしも十分な通貨準備金の裏付けのない紙幣の発行を繰り返し試みた。額面割れした貨幣が流通するという状況は、通貨制度の混乱、とも捉えられる。しかし、割引や受け取り拒否、という行動は、地方政権(或いは国家)が無制限に通貨を発行するのを防いでいた。

    こうした中国の通貨をめぐる来歴に鑑みれば、統一銀貨「孫」の発行を以て、銀塊・銀貨を回収し、同時に漸次金本位制に移行する、というケメラーが国民政府に示した処方箋が、成功をおさめるのは困難であったかもしれない。いずれにしても、ケメラーの提言が、実行に移されることはなかった。折しも1929年に始まった大恐慌からの脱却を図る過程で、1931年以降、各国は金本位制を離れ自国の通貨を切り下げた。これを機に、ケメラーが改革のターゲットとした国際金本位制自体が終焉を遂げただけではなく、国際銀価の上昇を受けて、銀本位制を採る中国の通貨金融システムは機能不全となった。未曽有の危機への対応として、1935年中華民国国民政府は幣制改革を行い、管理通貨システムへと移行した。

    中央政府に通貨の発行権が集中されると同時に、市場における通貨への信認を確保するという命題を負うことになったことは、以後も政府の政策形成と執行全体に、大きな影響を及ぼすこととなった。第二次大戦後のハイパー・インフレーションは、国民政府の政治的正統性を著しく損なうものであったし、天安門事件前夜のインフレは、市民の不満を募らせ社会不安を増幅した。また、近年の為替レート管理に伴う市場への流動性の放出は、低金利を招き、不動産市場などに過剰な資金が流れ込んで、リスクを伴った「ブーム」が生じる要因となっていることも指摘されている。通貨をめぐる政府と市場・市民との交渉に関する歴史的考察を進めることで、近現代中国における政治と経済の相互作用を明らかにすることにも寄与できるものと考えている。