タイ政治混迷の要因

玉田芳史(京都大学)

 

   タイの政治は混迷している。民主化に向けての産みの苦しみを味わっているといえよう。なぜすんなりと民主化できないのであろうか。ここではその概要を示したい。

   ここ10年間のタイ政治には、伝統的支配階層vs.新興支配階層、貧困層vs.富裕層という2つの大きな対立軸がある。民主化前の政治体制は、1973年10月の政変を転機として成立した「国王を元首とする民主主義体制」である。国王がヘゲモニーを握っており、国王とその取り巻き(network monarchyと呼ばれる)が必要に応じて政治に介入する。たとえて言えば、国王は代表権のある会長であり、日常業務は同じく代表権のある社長=首相に委ねている。形式上では、社長を選ぶのは株主である。社長は創業家と株主の双方を気遣わねばならない。社長が軸足を会長から株主へ移すのが民主化である。このため、会長には社長の自立化を抑制しようとする誘因が存在する。

   株主の側にも変化が生じた。1960年代からの着実な経済成長、80年代後半からの高成長、そして97年のアジア経済危機といったことの影響を受けたのは企業や都市部住民だけではなかった。交通網や通信網の拡充、学校の増加、不動産バブルなどの多様な要因により、農村部住民の生活も大きく様変わりした。だが、現金収入が増え、インフラストラクチャー整備が進んでも、都市部との間には格差が存在していた。格差を縮めるには政治の力が必要であった。それに初めて本格的に着手する政権の登場を可能にしたのは1997年憲法であった。小選挙区比例代表並立制の導入で、選挙が人物本位から政党本位へ変化するのを見越して魅力的な政権公約を掲げた政党が2001年総選挙で過半数に迫る議席を獲得し、しかもその公約を実現した。政府からの手厚い配慮は、いつも恩恵を浴してきた首都住民とは違って、農村部住民にとっては斬新であった。投票が生活に直結する政策を変えることを初めて実感した。加えて、1990年代に始まった地方分権の結果、21世紀初頭には地方自治体の首長が住民の直接選挙で選ばれるようになり、地方政治も投票結果に左右されるようになった。このため、庶民が選挙政治の熱烈な支持者になった。

   この民主化への反発が生まれた。1つは都市中間層である。彼らは1992年の政変以後、民主化の担い手と褒めそやされ、政治に対して人数とは不釣り合いに強い発言力を獲得した。選挙区議員の権力削減に主眼を置いた1997年憲法の可決成立を応援したのは彼らであった。選挙を株主総会にたとえるならば、都市中間層は持ち株数が多い株主のようなものである。しかし民主政治では有権者全員が一口株主である。もう1つは会長である。総選挙に勝って民主的な正当性を誇示する首相は、株主に軸足を移す社長であり、会長には不愉快であった。しかも、会長は高齢になり、一族からの後継者候補は能力や人望で会長に及ばず、社長に経営の主導権を奪われるのではないかと懸念された。

   多数派支配に不満を抱く都市中間層は、国民主権に不満を抱く勢力と同盟した。両者をつなぐのは、選挙で選ばれる政治家ではなく、高潔な善人による支配を理想として掲げる道徳の政治である。庶民は貧困で無知であり、汚職政治家ばかりを選ぶので、代議制民主主義に制約を課す政治改革が必要であると主張する。この運動は2005年から顕在化した。2001年に首相に就任したタックシンが標的であり、打倒のために、選挙で勝負を挑むのではなく、軍事クーデタや与党解党判決といった戦術を選んだ。選挙の軽視や無視は、国民主権の否定を意味しており、有権者から猛反発を招いた。1991年までのクーデタは、国民から支持も反発も生じなかった。多くの国民にとっては他人事であった。ところが、2006年クーデタでは参政権への挑戦と受け止められた。クーデタのあり方が変化したのではなく、社会の側が変化していたからである。敵はタックシンではなく、国民である。タックシン派を支持する国民は馬鹿であると公然と罵倒されて、改心する有権者がどれほどいるであろうか。タックシン打倒のための運動や工作を重ねるほど、有権者は自らの権利への侵害と受け止めて反発する。敵に塩を送る愚行である。

   選挙で勝つ勢力と選挙以外なら勝てる勢力の対立は、後者が選挙で勝てるようになれば解消されることであろう。しかし、有権者への蔑視や軽視が露骨な後者が、多数派の支持を獲得できる可能性は乏しい。持久戦になれば後者が不利であろう。かといって、後者が白旗を上げる見込みは乏しい。それゆえに、対立が終わる可能性は乏しい。