f

 天池 清次(あまいけ せいじ)

〔元同盟会長〕

インタヴュー期間 2001年4月5日〜2002年2月7日(全12回)
インタヴュアー 伊藤隆、季武嘉也、梅崎修、黒沢博道
場所 日本労働会館理事長室
キーワード 片山哲、総同盟、同盟会議、全金同盟、労働戦線統一問題
【インタヴュー内容】
1914年、東京市にて父由次郎、母きまの三男として生まれる。川崎の宮前尋常高等小学校中退後、川崎市内の直喜鉄工所に入社、片山哲の選挙運動に参加する。1928年、総同盟神奈川鉄工組合第一支部に加入。同年、神奈川労働学校に入校し労働組合と社会問題の基礎的知識を得るとともに、講師であった松岡駒吉、片山哲、石橋湛山らから教えを受ける。1932年、日本鋼管鶴見製鉄所に入社し、賃金要求運動や門司亮の選挙活動に従事する。終戦後の1945年、総同盟神奈川県連合会副主事に就任し、これ以後専従の労働運動家となる。総同盟内の左右対立が激化する中で総同盟右派の指導者として活躍し、1959年、総同盟第十四回全国大会で総主事に選出される。過熱化する総同盟と全国労働組合同盟との組織競合問題に際して巧みな手腕を発揮して両組織の統合統一を実現させ、1962年、総同盟・全国労働組合同盟・全日本官公職労協議会の連絡機関である同盟会議を結成することに成功し書記長に就任した。さらに1964年11月には同盟を発足させて書記長となる。以後1968年副会長、1972年会長を歴任した後、1980年に退任し顧問となる。
また、各地方金属が構成単位となり同盟体という側面が強かった全金同盟を、本部を中心とした単一の組合へと組織改変する際にも関与し、1967年に全金同盟(現・ゼンキン連合)組合長に就任、1972年には会長となった。
本オーラルヒストリーからは、民主主義を尊重して暴力主義を排し、ストライキよりも団体交渉を重視した天池氏の労働運動方針を窺うことができる。また、戦後日本の非共産系の労働運動史としても貴重な証言である。
なお、この記録は、2002年に天池清次著『労働運動の証言』として財団法人日本労働会館から刊行された。