海原 治(かいはら おさむ)

〔元内閣国防会議事務局長〕

インタヴュー期間 1998年10月5日〜2000年6月16日(全20回)
インタヴュアー 伊藤隆、御厨貴、飯尾潤、河野康子、佐道明広、牧原出
場所 政策研究プロジェクトセンター
キーワード 国防、防衛庁、三矢研究、 防衛力整備計画
【インタヴュー内容】
本オーラルヒストリーは、海原氏の生い立ちから始まるライフヒストリーである。
1917年大阪生まれ。伯父は鳩山一郎の懐刀と言われた海原清平(20年〜28年衆議院議員)。39年東京帝国大法学部法律学科を卒業後、内務省に入省。40年に入営し、主計大尉で終戦を迎えた。復員後は、高知県庁で復員作業や軍需物資の処理を行う。46年8月に警視庁に異動し、48年国家地方警察本部、52年保安庁保安局保安課長、54年から防衛庁防衛局第一課長や防衛審議官、防衛局長、長官官房長を歴任した。67年内閣国防会議事務局長に転出し、72年退官した。
保安庁保安課長のころから、防衛力整備計画に携わり、第四次防衛力整備計画まで担当した。海原氏は、陸上自衛隊の整備に力を入れていたことから「陸原」とも呼ばれ、自身の兵隊経験を基にした、装備中心から弾薬などの兵站、弾薬などの補給備蓄などに注力すべし、という防衛政策を主張している。また、経歴からもわかるとおり、国家地方警察本部時代には警察予備隊創設にかかわり、以降、自衛隊に発展していく過程において、海原氏は常に関わっていたと言っても良い。
59年ごろの次期主力戦闘機の機種選定で、各戦闘機メーカーの代理店を務める商社の暗躍ぶりや、さらに政治問題化していくプロセス、三矢研究で国会答弁した経緯などについても、詳細に証言している。また、独特の安全保障論を持つ海原氏だが、自衛隊の装備力の増強だけを唱えた「赤城構想」や「中曽根構想」を論破、あわせて戦闘機や偵察機など装備の安易な国産化についても、舌鋒鋭く批判している。歴代首相の人物評も興味深い。
巻末には、三矢研究をはじめ、海原氏所有の防衛庁資料を掲載した。なお、海原氏には「海原治関係文書」(現在、伊藤隆が預かり整理を実施)がある。
【主要参考文献】
海原治『戦史に学ぶ』(朝雲新聞社 1970年)
海原治『日本列島守備隊論』(朝雲新聞社 1973年)
海原治『私の国防白書』(時事通信社 1975年)
海原治『最近の国際情勢と日本の安全保障』(内外情勢調査会 1977年)
海原治『日本防衛体制の内幕』(時事通信社 1977年)
海原治・久保卓也『現実の防衛論議』(サンケイ出版 1979年)
海原治『誰が日本を守るのか!−一億人の国防論』(ビジネス社 1980年)
海原治『討論自衛隊は役に立つのか』(ビジネス社 1981年)
海原治『日本人的「善意」が世界中で目の敵(かたき)にされている!!』(講談社 1987年)
海原治『安全保障・日本の選択−日本人は国を守れるのか』(時事通信社 1996年)
海原治『治に居て乱を忘れず−あいまいな日本の悲劇』(読売新聞社 1996年)