まちづくり行政オーラルヒストリー

インタヴュー期間2000年12月15日〜2002年1月18日(全11回)
インタヴュー対象吉田公二(元建設省大臣官房総務審議官)、前田光嘉(元建設事務次官)、河野正三(元国土事務次官)、竹内藤男(元建設省都市局長)、大塩洋一郎(元建設省大臣官房総務審議官)、澤田光英(元建設省住宅局長)
インタヴュアー御厨貴、加藤利男、越澤明、坂真哉、武田知己、田中祐司、山本繁太郎
場所財団法人都市計画協会、株式会社日本建築センター
キーワード建設省、高度成長、国土計画、佐藤栄作、都市計画
【インタヴュー内容】
本書は、都市計画やまちづくりの分野で活躍した官僚6人に対するインタヴュー集である。建設省の創設、各種法制度の改廃など、それぞれのインタヴュー対象者が関与した都市計画・まちづくり行政についてのインタヴューが収録されている。
吉田公二氏は、1953年に建設省に入省。計画局長などを経て、82年に大臣官房総務審議官に就任する。土地区画整理法の制定や、都市計画についての審議会の変遷について語っている。
前田光嘉氏は、1940年に内務省に入省。戦後、建設省都市局長、営繕局長、住宅局長、大臣官房長などを歴任し65年に建設省事務次官に就任する。前田氏は、入省までの経緯を説明した後、戦前と占領期を通じた建設省の変遷や当時の状況について述べている。占領期、GHQから、ニューヨーク州の法律にあるという理由で、日本の住宅公庫法にあわない法律を作ることを強要された。仕方がないので条文を入れたものの、その後の公庫法の改正のときにその文言を消したとの話は、当時のGHQと日本の官庁の関係を象徴しているようで興味深い。50年代から60年代にかけて、53年にガソリン税を導入するなど道路政策が大きく変わっていったことにも触れている。前田氏は、東京・阪神地区の都市における道路網の再編に関わった。前田氏たちが大阪に環状道路を作ろうとした際、道路となるべきところに朝日新聞社のビルが建っていたため、当時の社主と話合って、朝日新聞のビルの中を通る高速道路を作ったという体験などを語っている。その他、都市計画法案作成の経緯についてや、河野建設大臣がそれまでの大臣と異なり人事に指示を多く出したことを証言している。
河野正三氏は、総理府臨時人事委員会に就職した後、建設省計画局総合計画課長、計画局総務課長、国土庁土地局長、官房長などを経て、79年国土事務次官に就任する。都市計画課時代に土地区画整理法案を作成した際の苦労や、福岡県商工部鉱工業課長時代の大牟田事件の詳細を語っている。また、計画局宅地部長時代に作成に関わった新都市基盤整備法や新都市基盤整備法の意図や作成過程にも触れている。その他、河野一朗や中曽根康弘など、法案を作成する過程で関わった政治家について述べている。
竹内藤男氏は、1942年に内務省に入省。建設省住宅局住宅総務課長、計画局参事官などを経て、65年に都市局長に就任する。佐藤首相が土地利用計画に熱心だったため、宅地制度審議会で総理に答申を説明するよう求められたことなど、都市計画法大綱が閣議了解される過程や他の都市計画についても証言している。
大塩洋一郎氏は、1948年に建設省に入省。建設省住宅局宅地開発課長、都市局都市計画課長、計画局長などを経て、76年大臣官房総務審議官に就任する。都市計画を自身が書いていたと話すように、大塩氏は都市計画の作成に直接関わった。地方行政と都市計画の関連、各党や各省庁との折衝、省内での対立についてなど、都市計画が閣議決定される過程を述べている。
澤田光英氏は、建設院特別建設局監督部監督第二課技術補佐員として就職後、建設省住宅建設課長、住宅局調査官などを経て、1972年住宅局長に就任する。澤田氏は、住宅公団設立とその問題点や、建築基準法を改正しようとしたが出来なかったこと等を語っている。高度成長という「急激に社会が変わる時」、人々の移住環境も大きく変わった。例えば、住宅公団は、高度成長期、関東圏の人々が東京に通勤するようになり、税が東京に集中してしまうことから設立された。澤田氏は、行政が、その変化に法律をどう対応させようとしたかについて証言している。