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松野 頼三(まつの らいぞう)

松野 頼三(まつの らいぞう)

インタヴュー期間2000年10月16日〜2002年6月4日(全19回)
インタヴュアー伊藤隆、有馬学、佐道明広、小池聖一、武田知己
場所松野頼三事務所
キーワード農林族、政治資金規正法、自民党選挙制度調査会、ダグラス・グラマン事件、『佐藤栄作日記』
【インタヴュー内容】
1917年熊本県出身。父は松野鶴平、母方の祖父が野田卯太郎という政治家の家系に生まれる。慶応大学卒業後、一時日立製作所にてサラリーマン勤務を経験するが、すぐに海軍経理学校に入学し、上海隊付属の蘇州砲艇隊勤務時に開戦を迎える。ソウルで海軍経理部主計長だったころに終戦となり、帰国して熊本に戻った。その後吉田茂首相秘書官となり、衆議院議員に当選、農林部会長や厚生政務次官をつとめ、閣僚としては総理府総務長官、労働大臣、防衛庁長官、農林大臣を歴任、党内では、総務、自民党選挙制度調査会長などを歴任した。ダグラス・グラマン事件で疑惑が発覚し、1979年に一度議員辞職したが、翌年より1990年まで再び衆議院議員をつとめた。
松野氏は保守合同前後の政局を吉田茂側近として観察し、その後の首相経験者たちとも深く交流した。特に佐藤派に属したことから『佐藤栄作日記』には松野氏が頻繁に登場する。よって第13回から15回の計3回は、佐藤日記における松野氏関連事項を質問した。政界引退後は「闇鍋会」などを通して、若い世代の政治家と交流を続ける一方、戦後政治史の担い手として「政界の語り部」たらんとし、数多くのメディアなどから取材を受けている。本インタヴューの各回導入部分においても、松野氏自身がその時々における政局分析を語っており、関連する年表等を各回末尾に収録した。また巻末には松野氏関連文献目録を掲載した。なお、松野鶴平宛、吉田茂書簡(19通)を確認でき複製を保存(伊藤隆)している。
【主要参考文献】
松野頼三『議員生活25年−明日を目指して』(中央公論事業出版 1972年)
松野頼三『今年の日本経済の見通し』(内外情勢調査会 1976年)松野頼三「もう一度私の誕生日−私の保守再生論−」(『中央公論』1977年5月)
松野頼三『保守本流の思想と行動 松野頼三覚え書 戦後政治研究会聞き書き』(朝日出版社 1985年)
「第九章『政界人』の思想と行動−松野頼三の場合」(岡野加穂留『多党制政治論』1968年 経済往来社)
大賀睦夫「山鹿市にみる松野頼三の地盤崩壊」(『九大法学』第40号 1980年)