長野 士郎(ながの しろう)

〔元岡山県知事、元自治事務次官〕

インタヴュー期間2002年9月12日〜2003年7月18日(全8回)
インタヴュアー飯尾潤、大杉覚、清水唯一朗
場所自治医科大学東京事務所(都道府県会館5階)
キーワード内務省、地方自治法、町村合併促進法、小選挙区導入計画、岡山県知事
【インタヴュー内容】
1917年、岡山県に医師であった父・健次郎と母・菊野の四男として誕生。1941年、高等文官試験行政科に合格する。1942年、内務省に入省し、地方局行政課に配属される。岐阜県知事官房人事課長、内政部教学部長を経て、1944年、海軍司政官に志願しセレベス島に赴く。復員後、新潟県教育民政部労政課長、内務省地方局行政課事務官を歴任、内務省解体後は、総理庁内事局、総理大臣官房自治課で勤務し、地方自治法改正に尽力する。1949年、地方自治庁連絡行政部行政課長に就任し、町村合併促進法を作成するなど昭和の大合併に大きく関与するとともに、『逐条地方自治法』を執筆。この本の中で書かれた直接請求の解説は、現代も通用する解釈である。また、この頃、地方制度調査会に幹事役として参加し、第一次答申の作成に深く関わる。奄美群島復帰に際しては、「長野レポート」作成や奄美群島復興特別措置法成立への関与を通じて、復帰に大きく貢献した。1955年、自治庁長官官房調査課長となり、赤字団体の財政再建や、1956年の地方自治法改正に携わった。福岡県総務部長、自治庁長官官房総務課長等を経て1963年、選挙局長に就任、永久選挙人名簿制度を創設するが、小選挙区制度導入には失敗した。1966年、行政局長に就任し、コミュニティ構想や広域市町村圏構想を打ち出すとともに、論文「空想地方自治論」を執筆し、その中で府県制廃止と連邦国家論を展開する。1969年、財政局長に任命され、地方医科大学創設に尽力、1971年には自治事務次官に就任する。1972年、事務次官辞職後、岡山県知事に出馬し初当選を果たし、以後6期に渡り同県知事を務め、吉備高原都市の建設や苫田ダム建設を推進した。
長野氏は、戦後の地方自治制度整備の経緯及び市町村合併問題に深く関与しており、この問題に関する貴重な証言を残しているとともに、奄美返還に関連する諸事情や選挙局長時代の小選挙区導入計画、さらに知事時代の苫田ダム開発問題に対する態度といった事象に関する証言も行っている。
なお、この記録は、長野士郎『わたしの20世紀:長野士郎回顧録』(学陽書房 2004年)として公刊された。
【主要参考文献】
長野士郎・森脇博『地方自治と条例』(港出版合作社 1949年)
長野士郎『改正地方自治法逐条解説:第13国会改正部分』(港出版合作社 1952年)
長野士郎『逐条地方自治法:解釈とその運用』(学陽書房 1953年)
長野士郎『別冊・逐条地方自治法:第四十及び第四十一国会改正点の解説』(学陽書房 1962年)
長野士郎・宮澤弘『あすの地方自治を考える:知事対談』(ぎょうせい 1976年)
長野士郎『私の海外ノート』(ぎょうせい 1979年)
長野士郎『桃の咲くころ』(日本文教出版 1982年)
全国都道府県議会議長会事務局編『全国都道府県議会職員講習会講義録』(全国都道府県議会議長会事務局 1949年)
『都市監査論集:監査委員制度10周年記念』(全国都市監査委員協議会事務局 1956年)
『市政資料 第11-12』(日本都市センター 1963年)
田中二郎・原竜之助・柳瀬良幹編『行政法講座 第5巻』(有斐閣 1965年)
『地方自治論文集』(良書普及会 1972年)
読売新聞社編『あすの地方自治:私の県づくり』(読売新聞社 1973年)