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夏目 晴雄(なつめ はるお)

〔元防衛事務次官〕

インタヴュー期間2002年9月20日〜2004年1月13日(全14回)
インタヴュアー石田京吾、伊藤隆、岡田志津枝、佐道明広、中島信吾、武田知己
場所財団法人防衛弘済会
キーワード四次防、海原治、久保卓也、坂田道太、自衛隊、防衛白書、防衛政策
【インタヴュー内容】
本オーラルヒストリーは、元防衛庁事務次官である夏目晴雄氏のインタヴュー記録であり、戦後日本の防衛政策・防衛構想と防衛庁内の組織構成・人事などについて具体的に述べられている。
夏目氏は1927年に長野県に生まれた。1951年東北大学を卒業後、特別調達庁に入庁した。その後、60年に防衛庁に出向、国防会議事務局参事官、防衛庁人事教育局教育課長などを務め、73年には防衛局防衛課長に就任する。
当時、アジア諸国に自主防衛努力の強化を求めたニクソン・ドクトリン(69年)や、米中接近を声明したニクソン・ショック(71年)など、アジア地域での米国の政策が大きく変わろうとしていた。夏目氏は、本インタヴューで、当時の日本の防衛政策決定過程における重要人物である海原治国防会議事務局長・久保卓也氏・中曽根康弘防衛庁長官らと共に仕事をしたことから、彼らの人物像を具体的に述べている。特に四次防成立過程における海原事務局長と中曽根康弘長官の対立など、防衛庁内の政策決定過程が詳細に述べられている点は興味深い。こうした夏目氏の政治家・官僚・学者などに対する評価は随所に見られる。
夏目氏は国防会議事務局参事官、防衛庁参事官、人事教育局長、防衛局長などを歴任したのち、83年に防衛事務次官に就任する。85年に退官するが、防衛庁顧問、防衛大学校長となり、現在は財団法人防衛弘済会会長である。
夏目氏の在任中にはミグ25事件、カーターの在韓米軍撤退表明、中曽根首相による浮沈空母・三海峡封鎖発言、大韓航空機撃墜事件などの事件が起こる。日本の防衛政策における政策決定過程に関わるようになっていた夏目氏は政策決定者の視点から、これらの事件に対する防衛庁内での対応と動きを詳述している。日本の戦後史においても大きな事件であるこれらの事件に対して、当事者がどのように見ていたかを本インタヴューを通して知ることができる。