小田村 四郎(おだむら しろう)

〔元行政管理事務次官、元拓殖大学総長〕

インタヴュー期間 2003年1月22日〜2004年4月5日(全13回)
インタヴュアー 伊藤隆、佐道明広、武田知己
場所 政策研究プロジェクトセンター
キーワード 大蔵省、GHQ、行政管理庁、防衛計画、防衛庁、防衛分担金、四次防
【インタヴュー内容】
小田村四郎氏は、1923年に東京の青山南町で生まれた。42年に東京帝国大学法学部政治学科に入学、在学中の43年には東部第12連隊に入営、翌年陸軍経理学校に入校した。その後、陸軍航空本部経理部に勤務し、陸軍主計少尉で終戦を迎えた。復員後、東大に復学し47年に卒業、同年大蔵省に入省し理財局に配属される。東京財務局、主税局、国税庁総務課などに勤務し、56年大蔵省から防衛庁経理局会計課へ出向した。防衛庁では、防衛局第一課において概算要求をめぐる大蔵省との交渉や二次防(「次期防衛力整備計画」)策定作業に関与した。
その後、大蔵省に戻り、59年為替局資金課課長補佐となり、60年からは名古屋国税局直税部長を務めた。62年には文部科学技術担当の主計局主計官として国立大学の文理学部の改編問題、科学技術の大型施設の問題(原子力、ロケット、原子力船、巨大加速器など)に関わった。また、主計局法規課長であった66年からは、財政硬直化問題、在外財産保証問題、国際整理基金特別会計問題に関わった。68年大臣官房調査企画課長となり、70年名古屋国税局長、71年内閣審議室長、72年には防衛庁経理局長に就任した。小田村氏はこの時期について、四次防決定をめぐる諸問題、特に防衛装備国産問題をめぐる混乱、雫石事件や長沼事件の裁判やF4の空中給油装置問題について述べている。また、四次防先取りをめぐる紛乱やインフレと防衛費の関係、「平和時の防衛力」「脱脅威論」などの考え方についても自身の意見を述べている。
74年には日本銀行政策委員会大蔵代表となり、同年行政管理庁行政管理局長、76年には行政管理事務次官に就任した。この時代、公務員の削減問題、特殊法人の整理問題、局の増設問題、週休二日制の問題、個人情報保護の問題(国民総背番号制)、監察の仕事、資源エネルギー庁の省昇格問題、定年制の問題など行政の様々な問題に関わり、本書でその経験について述べている。その後、農林漁業金融公庫副総裁、日本銀行監事、東京短資株式会社顧問、拓殖大学総長を歴任した。
小田村氏は大蔵官僚として官僚生活をスタートしたが、大蔵省にとどまらず、防衛庁・行政管理庁でも政策作成に関わった経験を持つ。こうした小田村氏の全生涯について語られた本書は、大蔵省のみならず、防衛庁・行政管理庁に関する戦後日本政治行政研究においても重要な資料となりえるだろう。 
なお冊子巻末には小田村氏の作成による著述・寄稿目録が所収されている。
【主要参考文献】
小田村四郎『憲法と自衛権』(日本戦略研究センター 1984年)
小田村四郎『情勢の変化に対応する安全保障政策の抜本的見直し』(日本戦略研究センター 1987年)
小田村四郎『占領後遺症の克服』(国民文化研究会刊 1995年)