田川 誠一(たがわ せいいち)

〔元新自由クラブ代表、元自治大臣兼国家公安委員長〕

インタヴュー期間1998年9月21日〜2000年3月17日(全19回)
インタヴュアー伊藤隆、伊藤光一、楠精一郎、田中善一郎、佐道明広、池田偵一郎、森田敦夫
場所東京桜田ビル204号室(財団法人櫻田会)
キーワード新自由クラブ、河野一郎、松村謙三、中国、進歩党
【インタヴュー内容】
1918年神奈川県生まれ。田浦町(のち横須賀市と合併)一帯の大地主の家系に育つ。41年12月慶応義塾大学法学部卒業後、朝日新聞へ入社したが、翌年に陸軍・近衛歩兵第五連隊補充隊(東部第八連隊)に入営した。復員後は朝日新聞に復職し、通信部、政経部などに勤務した。55年に退社後、松村謙三文相秘書官となり、60年の総選挙で初当選した。自民党では河野一郎(叔父)の派閥に属し、松村謙三の関連で対中交流に務め、LT貿易・覚書貿易・日中国交正常化などに携わった。また65年の科学技術政務次官就任をきっかけに、海洋開発にも注力している。その後、ロッキード事件を契機に、河野洋平(従弟)等と自民党を脱党し、76年に新自由クラブを設立する。83年12月の総選挙では自民党過半数割れに伴い、自民・新自クの連立政権が発足し、田川氏は自治大臣兼国家公安委員長に就任した。その後、党勢は退潮して86年に新自由クラブを解党、他のメンバーは自民党に復党したが、田川氏は一人で進歩党を設立した。93年に政界を引退する。
本オーラルヒストリーは、田川氏の生い立ちからインタヴューしている。田川氏は、新聞記者として、国会議員として、戦後政治を観察、経験した。自民党内では反主流派的な位置づけにあり、そのため利害関係の少ない立場から、当時主流派だった田中派などの派閥領袖を観察している。また、松村謙三の手足となり、田川氏が奔走した中国との国交正常化前の交渉内容は、本オーラルの柱の一つである。なお田川氏は日記を参照しつつインタヴューに応じているが、その一部(昭和52年参議院応援演説)を[資料]として冊子に引用している。また、巻末には、田川氏自身の作成による「年譜」も収録している。なお、田川氏には「田川誠一関係文書」が存在する。
【主要参考文献】
田川誠一『今年の予算と私たちのくらし』下(野田経済研究所出版部 1966年)
田川誠一『回想−父の遺稿から−』(オリエンタル企画 1966年)
田川誠一『日中問題をどう解決していくか−日中問題の現状と将来−』(共同印刷 1969年)
田川誠一『日中関係打開のための提言』(共同印刷 1969年)
田川誠一『松村謙三と中国』(読売新聞社 1972年)
田川誠一『日中交渉秘録−田川日記〜14年の証言』(毎日新聞社 1973年)
田川誠一『政治家以前』(横須賀新風会 1977年)
田川誠一『一冊の本−三代回顧録に想う−』(共同印刷 1977年)
田川誠一『アメリカで話したこと』(共同印刷 1978年)
田川誠一『日中百年・提言−アメリカ人に読んでもらった−』(共同印刷 1979年)
田川誠一『初陣前後』(図書印刷 1980年)
田川誠一『日中交流と自民党領袖たち』(読売新聞社 1983年)
田川誠一『ドキュメント・自民党脱党−変節と脱落のなかで愚直に生きた男たち−』(徳間書店 1983年)
田川誠一『田川日記−自民党一党支配が崩れた激動の8日間−』(ごま書房 1984年)
田川誠一『やればできる痩せ我慢の道』(行研出版局 1995年)
田川誠一『田川誠一写真集「新風」二十五年』(田川代議士永年勤続記念誌編纂委員会編刊1985年)
田川誠一『自民党よお驕るなかれ』(講談社 1987年)
田川誠一『田川誠一の年譜』(田川誠一 1997年)